今の南富良野町
北海道のほぼ中央、上川総合振興局の南端にある町です。四方を山に囲まれ、東西に流れる空知川に沿って、落合や幾寅などの集落が並びます。北東に十勝岳、南に日高山脈、西に芦別岳と夕張岳が連なります。農業が基幹産業で、森林が豊かなため林業も行われ、石灰石も採掘されています。かなやま湖の周辺では、カヌーやキャンプなど自然を生かした遊びができます。
今の南富良野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,376人です。今の区域で数えた1980年の4,530人とくらべると47.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.3%です。
主な産業:農業が基幹産業で、林業や石灰石の採掘も行われています。
特産品・名産
- ジャガイモ高冷地の気候を生かして作る道内屈指の産地
- ニンジンジャガイモと並ぶ町の主な作物
見どころ・祭り
- かなやま湖カヌーやキャンプが楽しめる湖
- 道の駅南ふらのラベンダー畑がある道の駅
- 国設南ふらのスキー場町内のスキー場
- 夕張岳の高山植物群落国の天然記念物に指定された群落
木クルミ花ヒナゲシ南富良野町の木・花
南富良野町のなりたち
南富良野町(みなみふらのちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに南富良野村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は空知郡に属していました。
「南富良野町」という名前
「南富良野」は、下富良野村から分かれたとき、富良野の南にあたることからついた名です。「富良野」は、アイヌ語の「フラヌイ」(硫黄のにおいのする所)が変化した名とされます。1908年(明治41年)に下富良野村から分かれて南富良野村と呼ばれるようになり、1967年(昭和42年)に町制を施行して南富良野町になりました。
まちの成り立ち
南富良野に最初に人が入ったのは、1891年(明治24年)ごろ、砂金を採る人が日高山脈を越えて金山に入ったときといわれます。その後、1897年に歌志内村に置かれた富良野村組合戸長役場の管轄に入りました。1900年(明治33年)に下富良野と鹿越の間に鉄道が開通し、翌1901年には伊勢と岐阜の団体が移り住み、1902年に幾寅駅が開業しました。1907年には狩勝トンネルが完成しています。1908年(明治41年)4月1日、下富良野村から分かれて南富良野外1村戸長役場が置かれました。1919年(大正8年)4月1日に二級町村制を施行して南富良野村になり、占冠村と組合役場を設けました。組合役場は1932年(昭和7年)4月1日に廃止されています。1967年(昭和42年)4月1日に町制を施行し、南富良野町になりました。町内にかなやま湖があり、1999年(平成11年)には町でロケが行われた映画『鉄道員(ぽっぽや)』が公開されています。
年表
- 1908年4月1日明治41年空知郡下富良野村の金山から東が分かれて南富良野村となり、占冠村とあわせた南富良野村外1村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年南富良野村に二級町村制が施行され、占冠村との組合役場が置かれた。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1932年4月1日昭和7年占冠村との組合役場が廃止された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1967年4月1日昭和42年南富良野村が町制を施行し、南富良野町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。