今の芦別市
空知総合振興局管内の中央東端にある市で、空知川の流域に市街地が広がります。夕張山地の北部の大部分を抱え、市域のほとんどは山岳・森林地帯です。夕張山地の最高峰の芦別岳があり、空知川、パンケ幌内川、芦別川のそれぞれの流域に市街地ができました。かつては石炭産業で栄えた炭鉱のまちで、いまは観光に力を入れています。ユリ根の栽培が盛んで、全国に出荷されています。
今の芦別市の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,555人です。今の区域で数えた1980年の32,946人とくらべると61.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.8%です。
主な産業:ユリ根の栽培が盛んで、タレなどの食品工場もあります。
特産品・名産
- ガタタンとろみのある中華風スープ。市の郷土料理
- ソラチのたれ焼肉・豚丼などのたれの製品
- ユリ根栽培が盛んで全国に出荷される
見どころ・祭り
- 芦別岳夕張山地の最高峰
- 黄金水松道指定の天然記念物
- 空知大滝甌穴群道指定の天然記念物
- 旧三井芦別鉄道炭山川橋梁登録有形文化財
- 星の降る里百年記念館滝里遺跡群の出土遺物を収蔵
木ミズナラ花ユリ鳥シジュウカラ芦別市の木・花・鳥
芦別市のなりたち
芦別市(あしべつし)は、北海道空知地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに芦別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は空知郡に属していました。
「芦別市」という名前
「芦別」は、空知川に合流する芦別川の名から付けられ、アイヌ語の「アシペッ」(立つ川)に由来するとされています。川底が深く険しい様子を表した名と説明されます。このほか、低木の中を流れる川とする説や、上流の三段滝に由来するという説もあります。
まちの成り立ち
芦別の開拓は、1893年(明治26年)に山形県の佐藤伝治郎が歌志内から下班渓へ移ったことに始まります。翌1894年には石川県と富山県の合わせて68戸が下班渓に入り、1895年には下芦別にも富山県の人たちが移りました。1900年(明治33年)6月に歌志内村から分かれて、芦別村戸長役場が置かれました。1906年に二級町村制、1923年(大正12年)に一級町村制を施行しています。1913年には滝川と下富良野の間の鉄道が開通して、村内で3つの駅が仕事を始め、1915年には石炭の採掘が始まりました。1917年には久原鉱業の油谷芦別炭鉱が開坑し、1924年には三菱鉱業芦別鉱業所、1943年には三井芦別鉱業が開坑しています。1941年(昭和16年)4月1日に町制を施行して芦別町となり、1953年(昭和28年)4月1日に市制を施行して芦別市になりました。1954年には赤平市との境界を変えています。かつては炭鉱で栄え、閉山のあとは観光に力を入れています。
年表
- 1906年4月1日明治39年空知郡の芦別村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年4月1日大正12年芦別村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1941年4月1日昭和16年芦別村が町制を施行し、芦別町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年芦別町が市制を施行し、芦別市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1954年7月1日昭和29年芦別市と赤平市の境界が変更された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。