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美瑛町びえいちょう

美瑛町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の美瑛町

上川総合振興局管内の上川郡にある町です。大雪山国立公園の十勝岳連峰と夕張山系の間にあり、十勝岳の噴火と川の浸食でできた波状の丘陵が広がります。開墾された畑が丘に格子状に並び、作物の違いでパッチワークのように見える景観が特徴です。畑作と稲作が中心で、小麦やジャガイモ、てん菜などが作られています。町の全域が景観計画区域で、「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。

今の美瑛町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,668人です。今の区域で数えた1980年の14,826人とくらべると34.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.8%です。

9,668人人口(2020年)
−34.8%1980年からの増減
753.2km²面積(概算)
13人/km²人口密度
38.8%65歳以上の割合
14,8261980199020052020
15歳未満 9.6%15〜64歳 51.6%65歳以上 38.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:畑作と稲作が中心で、小麦・ジャガイモ・てん菜などを作ります。

特産品・名産

  • 小麦畑作の主要な作物の一つ
  • ジャガイモ畑作の主要な作物の一つ
  • アスパラガス品種「ラスノーブル」は町の特産野菜

見どころ・祭り

  • 青い池「日本で最も美しい村」連合の登録地域資源
  • 四季彩の丘丘に花畑が広がる展望花畑
  • パッチワークの路丘陵地帯に畑が広がる西部のエリア
  • 十勝岳標高2,077mの活火山

木シラカバ花スズラン美瑛町の木・花

美瑛町のなりたち

美瑛町(びえいちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに美瑛村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
753km²今の面積

「美瑛町」という名前

「美瑛」は、アイヌ語の「ピイェ」(油ぎった川)の上の部分を取った名とされています。どの川の様子を表した名かは、はっきりしていません。美瑛はもとは神楽村の区域で、1900年(明治33年)に神楽村から分かれたときにこの名が使われました。

まちの成り立ち

美瑛は、はじめ神楽村の所轄でした。1858年(安政5年)には松浦武四郎が美瑛を調査しています。1893年(明治26年)に植民地区画が設けられ、翌年に兵庫県の小林直三郎が字辺別太に移って、開拓を始めました。1896年には和歌山県から団体23戸が美瑛原野の中部に入り、のちに美瑛農場や早崎農場が開かれ、駅を中心に市街地ができました。1899年には十勝線(今の富良野線)の美瑛駅と旭川駅の間が開通しています。1900年(明治33年)6月1日に神楽村から分かれて、美瑛村戸長役場が置かれました。1915年(大正4年)4月1日に二級町村制、1923年(大正12年)4月1日に一級町村制を施行しています。1916年と1931年には神楽村との間で字志比内の境界を変えました。1929年には北海道庁立美瑛農事試作場が置かれ、1950年に廃止されています。1940年(昭和15年)4月1日に町制を施行して、美瑛町となっています。十勝岳の噴火と川の浸食でできた波状の丘陵に、畑が広がる町です。

年表

  1. 1915年4月1日大正4年上川郡の美瑛村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1916年4月1日大正5年美瑛村の字志比内が神楽村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1923年4月1日大正12年美瑛村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  4. 1931年1月1日昭和6年神楽村の字志比内の一部が美瑛村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  5. 1940年4月1日昭和15年美瑛村が町制を施行し、美瑛町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

美瑛村→美瑛町1915〜今

参考にした資料