今の新得町
十勝総合振興局管内の上川郡にある町で、十勝の北西の入口にあたります。北部は大雪山国立公園の山地で、南部は十勝川の流域の屈足地域、佐幌川の流域の新得地域、その中間の台地の上佐幌地域に分かれます。町域の大部分は森林です。十勝川の源流部は原生自然環境保全地域に指定されています。畑作、畜産、酪農が盛んで、林業やそばの生産も行われています。
今の新得町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,817人です。今の区域で数えた1980年の9,502人とくらべると38.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.8%です。
主な産業:畑作・畜産・酪農と林業が盛んで、そばの産地でもあります。
特産品・名産
- 新得そば国道38号沿いに畑が広がるそば
- チーズ町の名産・特産として挙げられる
- シイタケ町の名産・特産として挙げられる
見どころ・祭り
- 狩勝峠石狩川水系と十勝川水系の分水界の峠
- トムラウシ山大雪山系南部の標高2,141mの山
- サホロリゾート佐幌岳のスキー場を核にした施設
- 新内チャシアイヌ文化期のチャシ跡
木エゾヤマザクラ花エゾムラサキツツジ鳥エゾライチョウ新得町の木・花・鳥
新得町のなりたち
新得町(しんとくちょう)は、北海道十勝地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに屈足村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「新得町」という名前
「新得」は、アイヌ語の「シットク」(ひじ)に由来するとされ、川の曲がる所や山の突き出た所を表す語です。新得市街の北にある新得山が、佐幌川に向かってひじのように張り出す地形を指した名といわれます。村の名ははじめ「屈足村」で、1923年(大正12年)に新得村と改められました。
まちの成り立ち
新得には縄文時代の遺跡が残り、1799年(寛政11年)に天領となって、1821年に松前藩領、1855年に再び天領となりました。1897年(明治30年)に村山和十郎らが新得原野を視察し、植民地選定を出願しました。1899年に和人13戸が入地し、1900年には山形県から約100名が来ています。1907年(明治40年)に落合と釧路の間の鉄道が開通すると移民が急に増え、新得の市街ができました。その間、1900年に芽室外6村戸長役場、1903年に人舞外1村戸長役場の管轄に入っています。1915年(大正4年)4月1日に人舞外1村戸長役場から分かれて、二級町村制を施行し、村名を屈足村としました。1923年(大正12年)4月1日に一級町村制を施行し、屈足村を新得村と改称しています。1933年(昭和8年)5月1日に町制を施行して新得町になりました。町の北部は大雪山国立公園で、十勝川の源流部もあります。畑作と酪農が盛んです。
年表
- 1915年4月1日大正4年人舞村外1村戸長役場の区域から分かれて二級町村制を施行し、上川郡の屈足村となった。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1921年5月1日大正10年人舞村の字下佐幌の一部が屈足村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年4月1日大正12年屈足村が一級町村制を施行し、同時に名前を改めて新得村となった。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1933年5月1日昭和8年新得村が町制を施行し、新得町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。