今の鹿追町
十勝総合振興局管内の河東郡にあり、十勝平野の北西部に位置する町です。北辺は大雪山国立公園で山々が連なり、南へ向かうと然別湖を水源とする然別川がつくった扇状地が広がります。町内の全域がとかち鹿追ジオパークとして日本ジオパークに認定されています。酪農と畑作が中心で、道の駅しかおいがあり、花のまちづくりにも取り組んでいます。
今の鹿追町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,266人です。今の区域で数えた1980年の6,744人とくらべると21.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.0%です。
主な産業:酪農と畑作が中心で、牛乳・てん菜・馬鈴薯・豆類・小麦を生産します。
特産品・名産
- 鹿追そば町の名産・特産として紹介
- オショロコマ然別湖に生息する魚
- 小豆町の名産・特産として紹介
見どころ・祭り
- 然別湖町の北にある湖。観光の中心
- とかち鹿追ジオパーク町全域が日本ジオパーク
- 神田日勝記念美術館1993年に開館した記念館
- 道の駅しかおい町内の道の駅
木モミジ花シャクナゲ鳥カッコウ鹿追町の木・花・鳥
鹿追町のなりたち
鹿追町(しかおいちょう)は、北海道十勝地方の町です。
1920年の時点で、この区域の町村は河東郡に属していました。
「鹿追町」という名前
「鹿追」は、アイヌ語の「クテクウシ」に由来します。「ク」は弓のことで、ここでは機弓(アマッポ)を指し、「クテク・ウシ」は鹿を捕る柵のあるところという意味です。これを和訳した地名が「鹿追」です。1921年(大正10年)に音更村から分かれて鹿追村が発足し、1959年(昭和34年)9月1日に町制を施行して鹿追町になりました。
まちの成り立ち
鹿追の開拓は、1902年(明治35年)に東京の山田松次郎が現在の下市街付近に入植したことに始まるといわれます。1913年(大正2年)に駅逓所が開設され、本州各地から移住団体が入植して、まちづくりが進みました。行政の面では、1901年(明治34年)に音更外2村戸長役場の管轄となり、1906年(明治39年)に音更村として二級町村制が施行されました。1921年(大正10年)4月1日に音更村から分村して、二級町村制の鹿追村が発足しました。1923年(大正12年)には河西鉄道が敷かれ、ビートの輸送が始まりました。1928年(昭和3年)には北海道拓殖鉄道の鹿追駅が開業しましたが、1968年(昭和43年)に廃止されました。1959年(昭和34年)9月1日に町制を施行して鹿追町になりました。2001年(平成13年)には国際花サミットが開かれ、2004年(平成16年)には全国花のまちづくりコンクールで国土交通大臣賞を受けています。
年表
- 1921年4月1日大正10年音更村から分かれて北海道二級町村制を施行し、鹿追村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1959年9月1日昭和34年鹿追村が町制を施行し、鹿追町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。