今の東川町
上川総合振興局にある町で、旭川市の東隣に位置します。南西部には忠別川と倉沼川がつくった扇状地が広がり、東部は北海道最高峰の旭岳を含む大雪山の山地で、町域の大半を森林が占めます。水道は大雪山の雪解け水が地下水となったものを使い、上水道がありません。米づくりや家具などの木工業が盛んで、写真を通じたまちづくりを進めています。
今の東川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,314人です。今の区域で数えた1980年の7,774人とくらべると6.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は33.2%です。
主な産業:米づくりと木工業が盛んで、高原野菜や花も作られます。
特産品・名産
- 東川米地域団体商標に登録されている米
- 大雪旭岳源水湧水を活用した商品
- 家具木工業が盛んで旭川家具を生産
見どころ・祭り
- 旭岳大雪山の主峰。標高2,291mの北海道最高峰
- 天人峡温泉忠別川沿いの渓谷にある温泉
- 東川町郷土館町の歴史を紹介する施設
- 大雪旭岳源水公園2004年に完成した公園
木カツラ花エゾムラサキツツジ東川町の木・花
東川町のなりたち
東川町(ひがしかわちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに東川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「東川町」という名前
「東川」は、アイヌ語の「チュプペッ」(日の川)または「チュプカペッ」(東の川)を意訳した名とする説があります。町の南の境を流れる忠別川は、アイヌ語で「チュプペッ」と呼ばれた川とされます。村の名は、1897年(明治30年)に旭川村から忠別原野の一帯が分かれたときに付けられました。
まちの成り立ち
東川では、1894年(明治27年)に旭川村の字忠別原野が区画されて植民地となり、翌年から貸付が始まって開拓が進みました。香川県、富山県、徳島県(阿波)の人たちが次々に入っています。1897年(明治30年)12月7日に旭川村から分かれて東川村が置かれ、旭川外3村戸長役場の管轄に入りました。1899年(明治32年)6月には東旭川村とともに東旭川外1村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日の二級町村制では東旭川村と東川村の組合役場が置かれます。組合役場は1909年に廃止され、1919年(大正8年)に一級町村制を施行して東川村となりました。1914年(大正3年)には阿久津啓吉が勇駒別温泉(現在の旭岳温泉)を発見しました。1934年(昭和9年)には村の東部が大雪山国立公園に指定され、1959年(昭和34年)8月15日に町制を施行して東川町になりました。1985年には「写真の町」を宣言しています。
年表
- 1906年4月1日明治39年上川郡の東川村に二級町村制が施行され、東旭川村と組合役場を置いた。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年3月31日明治42年東旭川村・東川村の組合役場が廃止された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月大正8年東川村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1959年8月15日昭和34年東川村が町制を施行し、東川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。