今の当麻町
上川総合振興局の町で、大雪山連峰の麓、上川盆地の東端にあたります。東部の山地は大雪山へ続き、比布町との境を石狩川が流れ、支流の牛朱別川が町内を通ります。町域の多くは山林で、林業も行われています。町内には当麻鍾乳洞があります。米作を中心とする農業の町で、でんすけすいかやキク、バラ、キュウリ、トマトも作られています。
今の当麻町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,319人です。今の区域で数えた1980年の9,619人とくらべると34.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.1%です。
主な産業:米作が中心で、でんすけすいか・キク・バラなどの栽培と林業も行われます。
特産品・名産
- 米米作が町の産業の中心
- でんすけすいか皮が黒いスイカ。1984年に生産を開始
- キク町の花でもあり、栽培が盛ん
見どころ・祭り
- 当麻鍾乳洞北海道指定天然記念物の鍾乳洞
- 誓王寺町の文化財に指定された寺院
- 旧当麻神社跡丘陵地町の文化財。当麻神社は1894年の創建
木イチイ花キク当麻町の木・花
当麻町のなりたち
当麻町(とうまちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに当麻村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「当麻町」という名前
「当麻」は、アイヌ語の「トオマ」(湿地の多い所)、または「トウ・オロ」(沼や湿地の中)に由来するとされています。どちらも、湿地や沼の多い土地を表す名です。村ができたころは「當麻」と書き、1958年(昭和33年)の町制施行のときに今の「当麻」の字に改めました。
まちの成り立ち
当麻の開拓は、1893年(明治26年)に屯田兵2中隊400戸が移り住んだことに始まります。翌1894年には当麻神社が建てられました。1900年(明治33年)6月7日に永山村から分かれて當麻村となり、1901年(明治34年)9月19日には永山村戸長役場から分かれて、當麻村戸長役場が置かれました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行し、1915年(大正4年)4月には東旭川村から字当麻の区域を編入しています。1919年(大正8年)4月に一級町村制に移りました。1958年(昭和33年)4月1日に町制を施行し、同時に「當麻」の字を「当麻」に改めて、当麻町となりました。1957年(昭和32年)には、石灰岩の採掘中に当麻鍾乳洞が見つかっています。町は上川盆地の東の端、大雪山のふもとにあります。町の多くを山林が占め、平地では米づくりが行われ、でんすけすいかなどの産地となっています。
年表
- 1906年4月1日明治39年上川郡の當麻村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月大正4年東旭川村の字当麻の区域が當麻村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月大正8年當麻村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1958年4月1日昭和33年當麻村が町制を施行し、同時に字を「当麻」に改めて当麻町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。