北海道 › 愛別町

愛別町あいべつちょう

愛別町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の愛別町

上川盆地の北東端にあり、石狩川と愛別川の合流点に位置する町です。町域の約8割は山林です。農業は稲作が中心で、1972年に始まったキノコ栽培が柱の一つになっています。林業や木工業も営まれます。町内では愛別岐阜獅子神楽が受け継がれ、年末には愛別神社に大きなしめ縄が掛けられ、きのこの里フェスティバルも開かれます。

今の愛別町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,605人です。今の区域で数えた1980年の5,815人とくらべると55.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.3%です。

2,605人人口(2020年)
−55.2%1980年からの増減
280km²面積(概算)
9人/km²人口密度
46.3%65歳以上の割合
5,8151980199020052020
15歳未満 8.5%15〜64歳 45.2%65歳以上 46.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:稲作とキノコ栽培が中心で、林業・木工業も営まれています。

特産品・名産

  • キノコ1972年に栽培が始まった町の特産
  • 米農業の中心である稲作

見どころ・祭り

  • 愛別神社のジャンボしめ縄年末に町民有志が作って掛ける
  • 愛別岐阜獅子神楽町に伝わる獅子神楽
  • きのこの里フェスティバルキノコにちなむ催し

木サクラ花ツツジ愛別町の木・花

愛別町のなりたち

愛別町(あいべつちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに愛別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
280km²今の面積

「愛別町」という名前

「愛別」は、アイヌ語の「アイペッ」(矢の川、あるいはトゲの川)が変化した名とされます。土地の傾斜が急で、流れが矢のように速い愛別川にちなむという説があります。一方で、「アイ」はトゲのあるイラクサも指すことから、「イラクサの川」「矢の原料になる木のある川」とする説もあります。

まちの成り立ち

愛別の開拓は、1894年(明治27年)に植民地の区画が定められたことで本格化し、翌年には和歌山県などから300戸あまりが入植して開墾を始めました。1897年(明治30年)7月1日に愛別村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行されて愛別村になりました。1907年(明治40年)5月21日には比布村との境界が変わり、比布村の一部が愛別村に加わっています。1924年(大正13年)1月1日には、石狩川の上流にあたる字愛山より東の区域が上川村(今の上川町)として分かれました。1937年(昭和12年)4月1日に一級町村制となり、1961年(昭和36年)9月1日に町制を施行して愛別町になりました。町は上川盆地の北東の端、石狩川と愛別川が合わさるところにあります。稲作を中心に、1972年(昭和47年)から始まったキノコの栽培が農業の柱となり、「きのこの里」として知られています。

年表

  1. 1906年4月1日明治39年上川郡の愛別村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1907年5月21日明治40年比布村との境界が変更され、比布村の一部(字ヨーコシナイ)が愛別村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1924年1月1日大正13年愛別村の字愛山より東の区域が分かれ、上川村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  4. 1961年9月1日昭和36年愛別村が町制を施行し、愛別町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

愛別村→愛別町1906〜今

参考にした資料