今の歌志内市
空知総合振興局管内のほぼ中央にある市で、夕張山地の山々が連なる山岳・森林地帯です。神威岳が市のシンボルで、ペンケウタシュナイ川が西へ流れて石狩川に注ぎ、市街地を貫いて大きな沢をつくっています。東は芦別市、西は砂川市、南は上砂川町、北は赤平市に接します。炭鉱で栄えましたが、閉山後は工業団地の分譲やワイン用ぶどうの栽培に取り組んでいます。
今の歌志内市の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,989人です。今の区域で数えた1980年の10,178人とくらべると70.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は53.3%です。
主な産業:炭鉱のあとの振興策として、工業団地の分譲やぶどう栽培を進めています。
特産品・名産
- なんこ馬の腸を味噌で煮込む郷土料理
- ワイン市内で育てたぶどうで造る
- かもい高原はちみつアカシアと百花の2種類
見どころ・祭り
- かもい岳国際スキー場市内のスキー場
- 道の駅うたしないチロルの湯市内の道の駅
- 郷土館ゆめつむぎ市の郷土館
- こもれびの杜記念館旧空知炭鉱倶楽部の建物
木ナナカマド花ツツジ鳥ウグイス歌志内市の木・花・鳥
歌志内市のなりたち
歌志内市(うたしないし)は、北海道空知地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに歌志内村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は空知郡に属していました。
「歌志内市」という名前
「歌志内」は、市内を流れるペンケウタシナイ川にちなむ名です。アイヌ語の「オタ・ウㇱ・ナイ」(砂の多い沢)に由来し、「ペンケ」は「上の」を意味します。1891年(明治24年)に鉄道が通ったとき、この音を取って歌志内駅と名付けられ、のちにそのまま村の名になりました。
まちの成り立ち
歌志内は、石炭で開けた土地です。1889年(明治22年)に村田堤ら3人が石炭の試掘を始め、翌1890年4月に北海道炭礦汽船が坑道の開坑に取りかかって、労働者が入ってきました。1891年に鉄道が開通して歌志内駅ができます。1897年(明治30年)7月に滝川村と奈江村から分かれて、歌志内村外1村戸長役場が置かれました。1900年(明治33年)6月には、芦別村を分けています。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制、1919年(大正8年)4月1日に一級町村制を施行しました。1922年には赤平村を分けています。1940年(昭和15年)4月1日に町制を施行して歌志内町となり、1958年(昭和33年)7月1日に市制を施行して歌志内市になりました。1900年には歌志内神社が創建されました。石炭の産出で人口が増え、1948年には約46,000人に達しましたが、炭鉱の衰えとともに人口は減りました。2021年(令和3年)4月には、歌志内中学校と歌志内小学校が統合して歌志内学園になりました。
年表
- 1906年4月1日明治39年空知郡の歌志内村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年歌志内村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1922年4月1日大正11年歌志内村から赤平村が分かれた。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1940年4月1日昭和15年歌志内村が町制を施行し、歌志内町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1949年1月1日昭和24年歌志内町の字西山の一部が、新しく置かれた上砂川町の区域に移った。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年7月1日昭和33年歌志内町が市制を施行し、歌志内市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。