今の美唄市
北海道の中西部、空知地方の中央にある市です。国道12号と函館本線が南北に市内を貫き、西は石狩川東岸の平野、東は夕張山地に続く丘陵と山地です。かつては石狩炭田の一部で、道内有数の炭鉱の町でしたが、いまは米づくりが盛んな穀倉地帯です。石狩川の河跡湖のひとつ宮島沼は、マガンが飛来する場所で、ラムサール条約の登録湿地になっています。彫刻家安田侃の作品を展示するアルテピアッツァ美唄もあります。
今の美唄市の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,413人です。今の区域で数えた1980年の38,552人とくらべると47.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.5%です。
主な産業:米づくりを中心とした農業と、食品・プラスチック関連の工業が中心です。
特産品・名産
- 美唄産米「おぼろづき」などの北海道ブランド米
- 美唄焼き鳥特産品として知られる焼き鳥
- ハスカップ加工品にも使われる特産の果実
見どころ・祭り
- アルテピアッツァ美唄安田侃彫刻美術館として知られる
- 宮島沼ラムサール条約登録湿地
- 東明公園桜の名所として知られる
- 炭鉱メモリアル森林公園炭鉱の歴史を伝える公園
木ポプラ花ツツジ鳥マガン美唄市の木・花・鳥
美唄市のなりたち
美唄市(びばいし)は、北海道空知地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに沼貝村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は空知郡に属していました。
「美唄市」という名前
「美唄」は、アイヌ語の「ピパオイ」(沼に貝が産するところ)から出た名とされています。この「ピパ」は川や沼にすむカワシンジュガイを指し、「ピパのある(多い)川・所」が変化したとする説があります。かつての村名「沼貝」は、この意味を日本語にしたものといわれます。駅の周辺は先に「ピパイ」と呼ばれ、1900年(明治33年)に漢字の「美唄」になりました。
まちの成り立ち
美唄への入植は、1890年(明治23年)ごろ、旭川と岩見沢を結ぶ道路の開通とともに、福島磯次郎が美唄川のほとりで渡守を始めたことに始まります。同年に市来知村外4村戸長役場の管轄となり、1895年(明治28年)5月に沼貝村戸長役場が置かれました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行して沼貝村となり、1909年(明治42年)4月1日に一級町村制に移りました。1925年(大正14年)6月11日に町制を施行して沼貝町になり、翌1926年(大正15年)6月1日に美唄町と改称しています。美唄町は石炭の町として栄え、1950年(昭和25年)4月1日に市制を施行して美唄市になりました。炭鉱は1970年代に相次いで閉山し、1972年に三菱美唄炭鉱、1973年に三井美唄炭鉱などが閉じました。その後は米づくりを中心にした農業と、食品やプラスチック関連の工業が市を支えています。
年表
- 1906年4月1日明治39年空知郡の沼貝村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年4月1日明治42年沼貝村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1925年6月11日大正14年沼貝村が町制を施行し、沼貝町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1926年6月1日大正15年沼貝町が美唄町と改称した。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1931年8月1日昭和6年浦臼村との境界変更で、字茶志内の一部(通称三軒家)が浦臼村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1946年9月1日昭和21年奈井江村との境界変更で、字茶志内の一部と奈井江原野が奈井江村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年4月1日昭和25年美唄町が市制を施行し、美唄市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年浦臼村・月形町との境界変更で、字上美唄と字茶志内の一部が両町村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。