今の浦臼町
空知総合振興局管内のほぼ中央に位置し、石狩川の右岸にある町です。西は樺戸山地の峰を境に当別町、北は樺戸境川を境に新十津川町、南はトレシップタウシナイ川を境に月形町と接します。川や沼が多く、浦臼内川、黄臼内川、札的内川などが流れます。農業が中心で、米、花、メロン、ジャガイモ、アスパラガス、ぼたんそば、ワイン用のぶどうなどが作られています。
今の浦臼町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,732人です。今の区域で数えた1980年の3,654人とくらべると52.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.9%です。
主な産業:農業が中心で、米・メロン・そば・ワイン用ぶどうなどを作ります。
特産品・名産
- ワインワイン用ぶどうの畑とワイナリーがある
- ぼたんそば収穫祭が開かれるそば
- メロン町で作られる農産物の一つ
見どころ・祭り
- 札的沢大滝町内の滝
- 浦臼神社カタクリとエゾエンゴサクの群生地
- 日本キリスト教会聖園教会1893年に入植者が設立した教会
- 浦臼郷土資料館坂本龍馬ゆかりの資料などを展示
木サクラ花ツツジ浦臼町の木・花
浦臼町のなりたち
浦臼町(うらうすちょう)は、北海道空知地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに浦臼村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は樺戸郡に属していました。
「浦臼町」という名前
「浦臼」は、アイヌ語の「ウライ・ウㇱ」(やなのある所)に由来するとされています。やなは、川に仕掛けて魚をとるしかけのことです。「ウラユシペッ」から来たとする説もあります。町は石狩川の右岸に開け、浦臼内川など多くの川や沼があります。
まちの成り立ち
浦臼には縄文時代から人が暮らし、1807年(文化4年)には近藤重蔵が探索しています。1887年(明治20年)に樺戸集治監の囚人たちが月形と晩生内の間の道路を開き、入植が始まりました。1891年(明治24年)に樺戸川駅逓所が置かれ、取扱人の青木六蔵が入っています。その後、友成士寿太郎、武市安哉、北海道植民社の岩村八作、向井嘉平衛らが土地の貸付を受け、農業の施設とともに移民が少しずつ増えました。1893年には聖園教会が開かれ、1897年には坂本直寛が開拓のために移り住んでいます。1904年(明治37年)7月に月形村から分かれて、浦臼村戸長役場が置かれました。1909年(明治42年)4月1日に二級町村制を施行し、浦臼村となります。1960年(昭和35年)9月1日に町制を施行して浦臼町になりました。その間に、美唄町や奈井江町、月形町との間で何度か境界を変えています。1999年は開基百年にあたり、2003年には中空知地域の合併協議会が設置されました。
年表
- 1909年4月1日明治42年樺戸郡の浦臼村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1931年8月1日昭和6年美唄町の字茶志内の一部(三軒屋)が浦臼村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年美唄市の茶志内の一部が浦臼村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1960年9月1日昭和35年浦臼村が町制を施行し、浦臼町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。