今の新十津川町
空知総合振興局管内のほぼ中央にある町で、樺戸郡に属します。東は石狩川と空知川の合流部に面し、右岸にあたります。西には暑寒別岳を中心とした暑寒連峰が連なります。石狩川のほか、徳富川や尾白利加川などが流れます。奈良県の十津川から移住した人たちが開いた町で、農業は米が中心です。奈良県の食文化も伝わっています。
今の新十津川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,484人です。今の区域で数えた1980年の9,429人とくらべると31.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.1%です。
主な産業:米づくりが中心で、日本酒の醸造も行われます。
特産品・名産
- 米農業の中心となる作物
- めはりずし高菜の葉で包むおにぎり。奈良県の食文化
- 金滴酒造の日本酒1906年に創立された町内の酒造会社
見どころ・祭り
- 新十津川物語記念館町の観光地として挙げられる施設
- 新十津川温泉町内の温泉施設
- 新十津川獅子神楽町指定の文化財
- 新十津川神社(玉置神社)町内の神社
木オンコ(イチイ)花ツツジ新十津川町の木・花
新十津川町のなりたち
新十津川町(しんとつかわちょう)は、北海道空知地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに新十津川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は樺戸郡に属していました。
「新十津川町」という名前
「新十津川」は、移住した人たちの出身地である奈良県吉野郡の十津川にちなんで付けられた名です。1889年(明治22年)に十津川郷で大水害が起こり、住民約600戸が団体で北海道へ移りました。1890年(明治23年)1月15日に戸長役場が置かれたとき、その名称が新十津川とされました。故郷の名の前に「新」を付けた名です。
まちの成り立ち
新十津川の開拓は、1889年(明治22年)の十津川大水害のあとに始まります。北海道長官の永山武四郎が奈良県知事に移住を勧める書簡を送り、翌1890年に被災した約600戸が、国と県の保護のもとでトック原野(徳富川流域)に入りました。1890年1月15日に戸長役場が置かれ、1895年(明治28年)6月1日には深川村戸長役場を、1897年7月には雨竜村戸長役場を分けています。1902年(明治35年)4月1日に二級町村制を施行して新十津川村となり、1907年に一級町村制となりました。1902年には滝川と結ぶ石狩川橋が、道内初の鋼トラス道路橋として完成しています。1931年には札沼北線の石狩沼田駅と中徳富駅(のちの新十津川駅)の間が開通しています。1957年(昭和32年)1月1日に町制を施行して新十津川町になりました。その後も、滝川市や砂川市との間で境界の変更がありました。移民が伝えた奈良県の食文化は、今も町に残っています。
年表
- 1902年4月1日明治35年樺戸郡の新十津川村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1907年4月1日明治40年新十津川村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1948年7月1日昭和23年新十津川村の字上徳富の一部が滝川町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1957年1月1日昭和32年新十津川村が町制を施行し、新十津川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1959年1月1日昭和34年新十津川町の字下徳富の一部が砂川市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。