今の妹背牛町
空知地方の北部にある町です。石狩平野の北端にあたる雨竜平野の中央に位置し、町域はすべて平坦です。市街地は石狩川の右岸にあり、周りには水田が広がります。石狩川のほか、雨竜川、大鳳川、芽生川が流れます。ゆめぴりかやななつぼしなどの米を作る農業が基幹産業で、花卉も栽培されています。源泉かけ流しの温泉施設があり、町民の憩いの場になっています。
今の妹背牛町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,693人です。今の区域で数えた1980年の6,136人とくらべると56.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.1%です。
主な産業:農業が基幹産業で、米の生産と花卉栽培が中心です。
特産品・名産
- 生どらデコレーション町の特産品として紹介
- こがね大福町の特産品として紹介
- 大豆どん菓子町の特産品として紹介
見どころ・祭り
- 妹背牛温泉ペペル源泉かけ流しの温泉施設
- 遊水公園うらら町内の公園
- 郷土館町の歴史を伝える施設
木ナナカマド花ツツジ妹背牛町の木・花
妹背牛町のなりたち
妹背牛町(もせうしちょう)は、北海道空知地方の町です。
1920年の時点で、この区域の町村は雨竜郡に属していました。
「妹背牛町」という名前
「妹背牛」は、アイヌ語の「モセウㇱ」に由来するとされます。この言葉は「イラクサが群れて生えるところ」とも「草刈りをいつもするところ」とも解釈でき、どちらの意かは分からなくなっています。はじめは「望畝有志」の字が使われていましたが、1898年(明治31年)に鉄道の妹背牛駅が開業したころから「妹背牛」の字が定着しました。
まちの成り立ち
妹背牛の開拓は、1893年(明治26年)春に、札幌農学校の第2代校長の森源三が、菊亭家から未墾地510町歩の分割を受けて始めたものです。1889年(明治22年)には華族組合雨竜農場が雨竜平野に開かれ、1898年(明治31年)には妹背牛神社が創設され、地名の字が「望畝有志」から「妹背牛」に改められました。1923年(大正12年)1月1日に深川町から分かれ、一級町村制を施行して妹背牛村が置かれました。1952年(昭和27年)2月11日に町制を施行し、妹背牛町になりました。1978年(昭和53年)10月1日には雨竜町との境界が変わっています。町は石狩平野の北のはしにある雨竜平野の中央にあり、町域はすべて平らです。市街地は石狩川の右岸にあり、周りには水田が広がっています。2004年(平成16年)には北空知1市4町の合併協議会が設置されましたが、翌年に解散しました。町は今も単独の町として続いています。
年表
- 1902年4月1日明治35年今の妹背牛町の区域を含む深川村が、北海道二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1918年1月1日大正7年深川村が町制を施行し、深川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1923年1月1日大正12年深川町から分かれて北海道一級町村制を施行し、妹背牛村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1952年2月11日昭和27年妹背牛村が町制を施行し、妹背牛町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1978年10月1日昭和53年雨竜町との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。