今の厚真町
胆振総合振興局の管内にある、南北に長い町です。夕張山地から太平洋へ南へ流れる厚真川の流域がほぼそのまま町域で、中心市街地の本町は厚真川の中流付近にあります。稲作が中心で、ハスカップの栽培が盛んです。町内からは約1万4500年前の細石刃核も見つかり、旧石器時代から人の暮らしの跡があります。海沿いの浜厚真・上厚真地区は苫小牧東部地域に続き、火力発電所などが立地しています。
今の厚真町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,432人です。今の区域で数えた1980年の6,817人とくらべると35.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.5%です。
主な産業:稲作が中心で、ハスカップの栽培が盛んです。浜厚真には火力発電所があります。
特産品・名産
- ハスカップ町で栽培が盛んな果実
- 米町の農業の中心
- あづまジンギスカン町の名産品
見どころ・祭り
- こぶしの湯あつま町内の温浴施設
- あつまスタードーム全天候型の競技場
- 厚真町青少年センター図書室とプラネタリウムがある施設
- 軽舞遺跡調査整理事務所郷土資料展示室がある
木コブシ花ヤマツツジ鳥ウグイス厚真町の木・花・鳥
厚真町のなりたち
厚真町(あつまちょう)は、北海道胆振地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに厚真村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は勇払郡に属していました。
「厚真町」という名前
「厚真」は、アイヌ語の「マットマム」(向こうの湿地)が変化した名とされています。「アットマム」(向こうの湿地帯)が「アトマ」「アツマ」に変化したとする説や、「アトマプ」(オヒョウニレのある場所)とする説もあります。読みは、1960年(昭和35年)の町制施行のときに町が届け出た「あつま」が公式のものです。「あづま」とも発音されることを、松浦武四郎が幕末に報告しています。
まちの成り立ち
厚真川の流域には旧石器時代から人の暮らしの跡があります。1800年(寛政12年)に南部藩士の森田勘十郎らが浜厚真へ移住したとされ、1870年(明治3年)には新潟県出身の青木与八、高津熊蔵らが浜厚真に入植しました。明治22、23年ごろから移民が次々に入り、1891年(明治24年)には戸数が約200戸に達しました。1897年(明治30年)に苫小牧外7村戸長役場から分かれ、厚真村戸長役場が設置されました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行されて厚真村となり、1913年(大正2年)には苫小牧軽便鉄道の厚真駅が開業しています。1915年(大正4年)4月1日に一級町村制へ移りました。1960年(昭和35年)1月1日に町制を施行し、厚真町になりました。その後、ほかの市町村と合併したことはありません。2018年(平成30年)9月6日の北海道胆振東部地震で、土砂崩れなどで大きな被害を受けました。
年表
- 1897年苫小牧外7村戸長役場から分かれて、厚真村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年厚真村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年厚真村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1960年1月1日昭和35年厚真村が町制を施行し、厚真町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。