今の平取町
日高振興局の西部の山間にある町で、沙流川が流れます。東部は日高山脈に続く山岳地帯と森林地帯で、日高山脈襟裳十勝国立公園に含まれます。稲作、畑作、林業、畜産が営まれ、びらとり和牛やトマトが知られます。二風谷を中心にアイヌ文化を伝える施設があり、芽生地区にはすずらんの群生地があります。沙流川流域は重要文化的景観です。
今の平取町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,776人です。今の区域で数えた1980年の8,494人とくらべると43.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.2%です。
主な産業:稲作・畑作・林業・畜産が営まれ、和牛やトマトを生産しています。
特産品・名産
- びらとり和牛町で育てる和牛
- トマト「ニシパの恋人」の名で出荷
- 健康豚ハムやソーセージに加工
見どころ・祭り
- 二風谷アイヌ文化博物館町立の博物館
- 萱野茂二風谷アイヌ資料館アイヌ生活用具コレクションを収蔵
- びらとりすずらん群生地芽生地区。5月下旬から観賞会
- 義経神社町内の神社
木カツラ花スズラン平取町の木・花
平取町のなりたち
平取町(びらとりちょう)は、北海道日高地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。長知内村・貫気別村・荷負村・二風谷村・紫雲古津村・荷菜村です。
今の名前「平取町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の貫気別村が約397km²だったのに対し、今の平取町は約816km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は沙流郡に属していました。
「平取町」という名前
「平取」は、アイヌ語の「ピラ・ウトル」(崖の間、つまり両崖の意)が転訛した名とされます。1923年(大正12年)4月1日に平取外8村戸長役場の区域で二級町村制が施行され、平取村が発足しました。1954年(昭和29年)11月1日に町制を施行して平取町になりました。
まちの成り立ち
平取では、1870年(明治3年)に仙台藩の芳賀八百治と堀口秋治が荷菜に入植し、開墾に従事したのが和人の移住の始まりといわれます。町域はもと松前藩の家臣の領地で、1802年(享和2年)に箱館奉行の管内に入りました。1821年(文政4年)に松前藩へ戻り、1855年(安政2年)に再び箱館奉行に属しています。開拓使の設置で直轄となり、1872年(明治5年)に浦河支庁沙流出張所の管轄になりました。1880年(明治13年)に門別村に戸長役場が置かれ、1899年(明治32年)7月1日に平取外8村戸長役場が分かれました。1919年(大正8年)には右左府戸長役場(現在の日高町)が分離しています。1923年(大正12年)4月1日に二級町村制の平取村が発足し、1954年(昭和29年)11月1日に町制を施行して平取町になりました。2007年(平成19年)には、沙流川流域が重要文化的景観に選定されています。2013年(平成25年)には「二風谷イタ」と「二風谷アットゥシ」が伝統的工芸品に指定されました。
年表
- 1923年4月1日大正12年平取外8村戸長役場の区域で北海道二級町村制が施行され、平取村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1954年11月1日昭和29年平取村が町制を施行し、平取町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。