今の帯広市
十勝総合振興局の所在地で、十勝平野のほぼ中央に市街地が広がります。十勝川、札内川、帯広川などが流れ、南西の山地は日高山脈襟裳十勝国立公園に含まれます。平地の約半分が農地で、大規模な畑作地帯です。ジャガイモやトウモロコシ、長いもなどの農産物のほか、乳製品や菓子づくりも盛んです。ばんえい競馬が開かれる帯広競馬場があります。
今の帯広市の区域の人口は、2020年の国勢調査で166,536人です。今の区域で数えた1980年の153,861人とくらべると8.2%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.7%です。
主な産業:畑作・酪農などの農業と、農畜産物を使った食品加工、商業が中心です。
特産品・名産
- 豚丼市が発祥の地とされるご当地料理
- ジャガイモ十勝の代表的な農産物
- 長いも市内の農産物の一つ
見どころ・祭り
- 帯広競馬場ばんえい競馬が開かれる競馬場
- 緑ヶ丘公園動物園や美術館、百年記念館がある公園
- 愛国駅・幸福駅旧国鉄広尾線の駅跡
- 真鍋庭園市内の庭園
- 岩内仙峡市内の渓谷
木シラカバ花クロユリ鳥ヒバリ帯広市の木・花・鳥
帯広市のなりたち
帯広市(おびひろし)は、北海道十勝地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。大正村・帯広町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の帯広市になりました。
今の名前「帯広市」は、1920年にあった帯広町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の帯広町が約56km²だったのに対し、今の帯広市は約680km²と、およそ12.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河西郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧大正村の区域には大正駅(広尾線)があります。
「帯広市」という名前
「帯広」は、アイヌ語の「オペレペレケプ」(川尻がいくつにも裂けているところ)が変化した名です。これが「オベリベリ」となり、「帯広」の字が当てられて「おびひろ」になったと考えられています。帯広川のアイヌ語名の上の部分の音を採り、十勝平野の広さにちなんだ「広」を付けたとする説もあります。1933年(昭和8年)に帯広町が市制を施行したとき、町の名がそのまま市の名になりました。
まちの成り立ち
1882年(明治15年)に静岡県出身の依田勉三らが晩成社を組織し、下帯広村に開墾地を選びました。翌1883年(明治16年)5月には、晩成社の第1次移民団12人が下帯広村へ移住しています。1893年(明治26年)6月に下帯広村へ戸長役場が置かれ、1902年(明治35年)4月に下帯広村と荊苞村が合わさって帯広町となり、二級町村制を施行しました。1915年(大正4年)4月1日には帯広町が伏古村の一部を併合して一級町村制を施行し、同時に上帯広村・幸震村・売買村を廃して、その区域に大正村を新設しています。1924年(大正13年)2月1日に大正村から川西村が分かれ、1926年(大正15年)には幕別村の一部が大正村に入りました。1933年(昭和8年)4月1日、帯広町の区域をもって市制を施行し、帯広市が誕生しました。1947年(昭和22年)9月1日には大正村から更別村と中札内村が分かれています。1957年(昭和32年)4月1日に川西村と大正村を編入し、今の市域になりました。
年表
- 1893年6月明治26年大津村にあった十勝・中川・河西・河東・上川5郡の戸長役場から河西・河東・上川3郡が分かれ、下帯広村に戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1900年7月明治33年3郡の戸長役場から芽室村ほか6村が分かれ、下帯広村ほか11か村戸長役場となった。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1901年10月明治34年育東村ほか2村が分かれ、下帯広村ほか8か村戸長役場となった。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1902年4月明治35年下帯広村と荊苞村が合わさって帯広町となり、伏古村・幸震村・売買村・上帯広村とともに二級町村制を施行した。上帯広村は売買・戸蔦・迫別・鵺抜の4村を合わせたもので、組合役場は帯広町に置かれた。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年帯広町が伏古村の一部を合わせて一級町村制を施行し、伏古村の残りは芽室村に入った。同じ日に上帯広村・幸震村・売買村が合わさって大正村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1924年2月1日大正13年大正村から川西村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1926年4月1日大正15年幕別村との境界変更で、幕別村の上途別・下イタラタラキ・更別の一部が大正村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1933年4月1日昭和8年帯広町が市制を施行し、帯広市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1938年4月1日昭和13年川西村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1939年4月1日昭和14年大正村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1947年9月1日昭和22年大正村から更別村と中札内村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1957年4月1日昭和32年河西郡の川西村と大正村が帯広市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。