今の八雲町
渡島半島の北部にある町です。東は内浦湾(噴火湾)、西は日本海に面し、半島を横断する形をしています。東側は遊楽部川などが平地をつくり、西側の熊石地域は山が海に迫って大半が森林です。酪農や畑作、ホタテなどの漁業が行われています。北海道の木彫り熊の第1号が作られた地で、木彫り熊資料館があります。
今の八雲町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,826人です。今の区域で数えた1980年の26,359人とくらべると40.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.4%です。
主な産業:酪農・畑作(軟白ねぎなど)と、ホタテなどの漁業が中心です。
特産品・名産
- 乳製品酪農で作る牛乳・チーズなど
- 北里八雲牛循環型畜産で育てる肉用牛
- バター飴1931年に販売が始まった
見どころ・祭り
- 八雲町木彫り熊資料館第1号をはじめ木彫りの熊を展示
- 梅村庭園名勝に指定された庭園
- 山越内関所跡1801年に置かれた関門の跡
木イチイ(オンコ)花ヒマワリ鳥オオワシ八雲町の木・花・鳥
八雲町のなりたち
八雲町(やくもちょう)は、北海道渡島地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。落部村・熊石村・八雲町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の八雲町になりました。
今の名前「八雲町」は、1920年にあった八雲町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の八雲町が約596km²だったのに対し、今の八雲町は約1,042km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は二海郡・爾志郡・茅部郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧落部村の区域には落部駅(函館本線)があります。
「八雲町」という名前
「八雲」は、1878年(明治11年)に遊楽部の開墾を始めた旧尾張藩主の徳川慶勝の意向で付けられた名です。須佐之男命が詠んだ和歌「八雲立つ 出雲八重垣…」にちなむとされますが、命名のいきさつははっきりしていません。1881年(明治14年)に山越内村から分かれた八雲村の名に使われ、のちに町名になりました。
まちの成り立ち
八雲の開拓は、1878年(明治11年)に旧尾張藩主の徳川慶勝が旧臣を遊楽部に移住させたことに始まります。1881年(明治14年)に山越内村から八雲村が分かれ、1902年(明治35年)の二級町村制で山越内村と合わさって八雲村となりました。1919年(大正8年)1月1日に町制を施行して八雲町になり、1957年(昭和32年)4月1日に落部村を編入しています。一方、日本海側の熊石は、1873年(明治6年)に熊石・泊川・相沼内の3か村に戸長役場が置かれた地域です。のちに熊石村となり、1962年(昭和37年)5月1日に町制を施行して熊石町になりました。2005年(平成17年)10月1日、八雲町と熊石町が新設合併して新しい八雲町が発足しました。熊石は、鎌倉時代後期の1296年(永仁4年)に日蓮の六老僧の一人、日持が訪れたことが記録に残る地です。この合併で、町域は内浦湾(噴火湾)から日本海までつながっています。
年表
- 1902年4月1日明治35年北海道二級町村制の施行で、山越郡の八雲村と山越内村の区域をあわせて八雲村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1902年4月1日明治35年爾志郡の熊石村・相沼内村・泊川村の区域で、二級町村制を施行した熊石村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1907年4月10日明治40年八雲村が北海道一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年茅部郡の落部村が北海道二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1919年1月1日大正8年八雲村が町制を施行し、八雲町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1957年4月1日昭和32年落部村が八雲町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1962年5月1日昭和37年熊石村が町制を施行し、熊石町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2005年10月1日平成17年八雲町と熊石町が新設合併し、二海郡八雲町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。