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厚沢部町あっさぶちょう

厚沢部町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の厚沢部町

檜山振興局の南東部にあり、北に八雲町、南に上ノ国町や木古内町が接する町です。面積の約8割を山林が占め、町の中央にある太鼓山はツツジと紅葉の景勝地です。ヒノキアスナロやゴヨウマツの北限地、トドマツの南限地で、基幹産業は農業と林業です。メークインや黒大豆が栽培され、うずら温泉や俄虫温泉などの温泉があります。

今の厚沢部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,592人です。今の区域で数えた1980年の6,862人とくらべると47.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.9%です。

3,592人人口(2020年)
−47.7%1980年からの増減
499.3km²面積(概算)
7人/km²人口密度
42.9%65歳以上の割合
6,8621980199020052020
15歳未満 9.4%15〜64歳 47.7%65歳以上 42.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:基幹産業は農業と林業です。メークインや黒大豆などを栽培しています。

特産品・名産

  • メークイン町の特産品の一つ
  • 光黒大豆町の特産品の一つ
  • 大根町の特産品の一つ

見どころ・祭り

  • 太鼓山展望台春のツツジ、秋の紅葉の景勝地
  • 土橋自然観察教育林レクの森。日本の遊歩100選
  • 館城跡松前氏城跡として史跡

木クロマツ花ツツジ厚沢部町の木・花

厚沢部町のなりたち

厚沢部町(あっさぶちょう)は、北海道檜山地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに厚沢部村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は檜山郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
499km²今の面積

「厚沢部町」という名前

「厚沢部」は、アイヌ語の「ハチャムベツ」(桜鳥川の意)が「アッサブ」に転訛したとする説があります。昔は本村と旧泊村の6村を合わせて厚沢部郷と呼んでいました。「あっさぶ」と読み、道南の難読地名の一つです。

まちの成り立ち

厚沢部は古くは松前藩の所領で、1678年(延宝6年)にヒノキアスナロの山が開放されると、伐採のために本州から杣夫が渡ってきました。杣夫は農業を副業として定着し、河川の流域で開墾が始まりました。1869年(明治2年)に、築城途中の館城へ避難した松前藩主らが旧幕府軍に攻められ、館城は落城しました。江戸時代の終わりごろに俄虫・目名・土橋・安野呂の4村が置かれ、のちに鶉・館・赤沼が加わって大字7村になりました。1872年(明治5年)に開拓使の管轄となり、1876年(明治9年)に俄虫村戸長役場が置かれました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行され、厚沢部村が発足しました。1960年(昭和35年)7月1日に字地番が改められ、1963年(昭和38年)3月10日に町制を施行して厚沢部町になりました。1970年(昭和45年)5月12日には、航空自衛隊の戦闘機が町内の山林に墜落し、乗員1人が亡くなりました。

年表

  1. 1906年4月1日明治39年北海道二級町村制が施行され、厚沢部村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1963年3月10日昭和38年厚沢部村が町制を施行し、厚沢部町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1967年5月1日昭和42年江差町との境界を変更した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

厚沢部村→厚沢部町1906〜今

参考にした資料