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木古内町きこないちょう

木古内町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の木古内町

渡島半島の南西部にあり、南は津軽海峡に面し、北は山地の町です。市街地のわずかな平野部を除き、大半が山地と丘陵です。江戸時代から交通の要所で、沿岸に沿って国道228号、北海道新幹線、道南いさりび鉄道が走ります。基幹産業は漁業、農業、畜産などで、かつては林業も盛んでした。寒中みそぎ祭りが伝わり、咸臨丸が遭難した地でもあります。

今の木古内町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,832人です。今の区域で数えた1980年の9,514人とくらべると59.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.0%です。

3,832人人口(2020年)
−59.7%1980年からの増減
240.1km²面積(概算)
16人/km²人口密度
50.0%65歳以上の割合
9,5141980199020052020
15歳未満 6.1%15〜64歳 43.9%65歳以上 50.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:漁業・農業・畜産が基幹産業です。かつては林業も盛んでした。

特産品・名産

  • はこだて和牛木古内だけで生産されている赤毛の和牛
  • 孝行餅町の特産品として紹介されている菓子
  • みそぎの塩みそぎ浜の海水から作る塩

見どころ・祭り

  • 寒中みそぎ祭り毎年1月に佐女川神社で行う水行
  • サラキ岬咸臨丸が遭難した岬
  • 道の駅みそぎの郷きこない新幹線の木古内駅の近く
  • 木古内町郷土資料館愛称は「いかりん館」

木スギ花ツツジ木古内町の木・花

木古内町のなりたち

木古内町(きこないちょう)は、北海道渡島地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに木古内村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は上磯郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
240km²今の面積

「木古内町」という名前

「木古内」は、アイヌ語の「リロナイ」(潮の差し入る川の意)が転訛した名とされます。木古内川は干満の差が大きく、満潮時に潮が川を逆流することから、そう呼ばれたとする説があります。1902年(明治35年)に二級町村制で木古内村が発足し、1942年(昭和17年)10月1日に町制を施行して木古内町になりました。

まちの成り立ち

木古内には、1433年(嘉吉3年)ごろまでに和人が来住したと伝わります。1457年(康正3年)のコシャマインの乱では、道南十二館の一つの中野館が落城しました。1799年(寛政11年)に幕府の直轄地となり、1831年(天保2年)には佐女川神社のみそぎ祭りが始まったと伝えられています。1869年(明治2年)に箱館戦争の舞台となり、1871年(明治4年)には咸臨丸がサラキ岬沖で遭難しました。1879年(明治12年)に木古内・泉沢・札苅の3村の戸長役場が置かれ、1885年(明治18年)に釜谷村が当別村から分けられて4村になりました。1902年(明治35年)4月1日に4村をもって二級町村制が施行され、木古内村が発足しました。1919年(大正8年)に一級町村制となり、1942年(昭和17年)10月1日に町制を施行して木古内町になりました。1949年(昭和24年)と1957年(昭和32年)には大火があり、多くの家が焼けました。2016年(平成28年)には北海道新幹線が開業しています。

年表

  1. 1902年4月1日明治35年木古内・札苅・泉沢・釜谷の4村をあわせて北海道二級町村制が施行され、木古内村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1919年4月1日大正8年木古内村が北海道一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1942年10月1日昭和17年木古内村が町制を施行し、木古内町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

木古内村→木古内町1902〜今

参考にした資料