今の北斗市
渡島半島の南部にある市で、南東は函館平野、西は山地、南は函館湾に面します。中央部を大野川が南北に流れます。農業と漁業が基幹産業で、トマトや長ネギ、ホウレンソウなどの野菜が作られ、函館湾や津軽海峡で定置網漁や養殖が行われます。市内には戸切地陣屋跡などの史跡があり、北海道新幹線の新函館北斗駅があります。駅の周辺で土地区画整理が進められています。
今の北斗市の区域の人口は、2020年の国勢調査で44,302人です。今の区域で数えた1980年の39,096人とくらべると13.3%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.2%です。
主な産業:農業と漁業が基幹産業で、野菜の栽培と定置網漁・養殖が行われています。
特産品・名産
- ホッキガイ市の海産物
- ホタテガイ市の海産物
- トマトトマトジュースなどに加工
見どころ・祭り
- 戸切地陣屋跡史跡公園松前藩の陣屋跡
- 八郎沼公園桜の名所の公園
- きじひき高原パノラマ展望台市内の展望台
- 法亀寺しだれ桜市内の桜の名所
木ブナ、クロマツ花サクラ(春)、マリーゴールド(夏)、ムクゲ(秋)北斗市の木・花
北斗市のなりたち
北斗市(ほくとし)は、北海道渡島地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。茂別村・大野村・上磯町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の北斗市になりました。
今の名前「北斗市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の上磯町が約154km²だったのに対し、今の北斗市は約431km²と、およそ2.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上磯郡・亀田郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧上磯町の区域には上磯駅(道南いさりび鉄道線)があります。
「北斗市」という名前
「北斗」は、合併のときに市名を公募し、選考の末に合併協議会委員25人の投票で決まった名です。北の空に輝く北斗星をイメージし、小さな星が集まって一つの北斗をなすように、上磯町と大野町の二つの星が一つの市をつくるという願いが込められています。旧上磯町の「上磯」は、アイヌ語の「カムイソ」(見事な岩の意)が変わったものと言われています。
まちの成り立ち
北斗市の区域は、上磯町と大野町でした。上磯は、1879年(明治12年)4月に有川村と戸切地村が合併して上磯村となりました。1900年(明治33年)7月1日に一級町村制を施行し、1918年(大正7年)1月1日に町制を施行して上磯町になりました。大野は、1900年(明治33年)7月に6村を併せて一級町村制を施行し、大野村となりました。茂辺地を含む茂別村は1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行し、1955年(昭和30年)4月1日に廃されて上磯町に編入されました。大野村は1957年(昭和32年)1月1日に町制を施行して大野町になりました。上磯では1872年(明治5年)に茂辺地煉化石製造所が置かれ、大野には1909年(明治42年)に北海道立道南農業試験場が設置されています。2006年(平成18年)2月1日、上磯町と大野町が新設合併して北斗市が発足しました。文月地区では1692年に米を収穫した記録があり、北海道水田発祥の地とされています。
年表
- 1900年7月明治33年亀田郡の市渡・文月・本郷・千代田・一本木などの6村が一つになり、北海道一級町村制を施行して大野村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1900年7月1日明治33年上磯郡の上磯村が北海道一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年上磯郡の茂別村が北海道二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1918年1月1日大正7年上磯村が町制を施行し、上磯町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年茂別村が上磯町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1957年1月1日昭和32年大野村が町制を施行し、大野町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2006年2月1日平成18年上磯町と大野町が合併し、北斗市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。