今の乙部町
檜山振興局の中部にあり、西に日本海を望む町です。海岸近くまで山が迫り、平地は少なく、町域の8割余りが山林です。海岸の多くが檜山道立自然公園に指定され、滝瀬海岸の白い断崖や鮪の岬の柱状節理があります。漁業ではイカやスケトウダラ、農業では食用ゆり根が作られ、海辺には「海のプール」がある元和台海浜公園があります。
今の乙部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,403人です。今の区域で数えた1980年の7,031人とくらべると51.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.6%です。
主な産業:漁業(イカ・スケトウダラ・ウニなど)と農業(食用ゆり根など)です。
特産品・名産
- 食用ゆり根町特産の高級食材
- ゆり最中ゆり根のあんを使った最中
- 黒千石大豆2005年から栽培する在来種の黒大豆
- おとべのはちみつアカシア・トチ・ソバの3種
見どころ・祭り
- 滝瀬海岸(シラフラ)白い断崖が約500m続く
- 元和台海浜公園海辺の「海のプール」がある
- 縁桂推定樹齢500年以上のカツラの巨木
- 鮪の岬安山岩の柱状節理。道の天然記念物
木スギ花ユリ乙部町の木・花
乙部町のなりたち
乙部町(おとべちょう)は、北海道檜山地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに乙部村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は爾志郡に属していました。
「乙部町」という名前
「乙部」は、アイヌ語の「オ・ト・ウン・ペ」(川尻に・沼の・多い・川の意)が転訛した名とされます。これは市街地の中央部を流れる姫川の旧名でした。1902年(明治35年)に二級町村制で乙部村が発足し、1965年(昭和40年)10月1日に町制を施行して乙部町になりました。
まちの成り立ち
乙部の村の成立はよくわかっていません。嘉吉年間に若狭の宇田遠江守師長がこの地に渡ってきたと伝えられています。江戸時代は松前藩領の西在8か村の一つで、幕府領と松前藩領を行き来しました。江差などとともに、江戸時代の中ごろからニシン漁の漁港として栄えました。1617年(元和3年)に花磯諏訪神社が建てられたと伝えられ、1741年(寛保元年)には松前沖の噴火に伴う津波に見舞われています。1879年(明治12年)7月23日に乙部・小茂内・突符・三ツ谷・蚊柱に戸長役場が置かれ、戸長役場の合併を重ねて、1886年(明治19年)に乙部外4村戸長役場となりました。1902年(明治35年)4月1日に二級町村制が施行され、乙部村が発足しました。1939年(昭和14年)に大字が廃止されて字名が改められ、1965年(昭和40年)10月1日に町制を施行して乙部町になりました。海岸の多くは檜山道立自然公園に含まれ、白い断崖が続く滝瀬海岸や、柱状節理の鮪の岬があります。
年表
- 1902年4月1日明治35年乙部村・小茂内村・突符村・三ツ谷村・蚊柱村の区域で北海道二級町村制が施行され、乙部村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1965年10月1日昭和40年乙部村が町制を施行し、乙部町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。