今の石狩市
北海道西部、石狩振興局の北部にある市です。石狩川の河口にあたる石狩のほか、北に日本海沿いの厚田と浜益が続き、南は札幌市に接します。かつては鮭漁が盛んで、戦後は札幌市のベッドタウンとして発達しました。石狩湾新港には港湾と工業団地があり、データセンターなどの企業が立地しています。サケを使った石狩鍋が名物で、浜益区には国の史跡の荘内藩ハママシケ陣屋跡があります。
今の石狩市の区域の人口は、2020年の国勢調査で56,869人です。今の区域で数えた1980年の40,783人とくらべると39.4%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.1%です。
主な産業:石狩湾新港の工業団地を中心とした工業と、サケなどの漁業、野菜・畜産の農業が営まれます。
特産品・名産
- 石狩鍋サケを使った鍋料理
- 浜益牛浜益区で生産されるブランド肉牛
- 厚田メロン厚田区で生産されるブランドメロン
見どころ・祭り
- 荘内藩ハママシケ陣屋跡国指定の史跡
- 黄金山国指定の名勝ピリカノカの一部
- 石狩弁天社1694年創建と伝わる神社
- はまます郷土資料館旧白鳥家鰊番屋を使った資料館
木カシワ花ハマナス鳥カモメ石狩市の木・花・鳥
石狩市のなりたち
石狩市(いしかりし)は、北海道石狩地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。浜益村・厚田村・石狩町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の石狩市になりました。
今の名前「石狩市」は、1920年にあった石狩町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の石狩町が約130km²だったのに対し、今の石狩市は約804km²と、およそ6.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は厚田郡・浜益郡・石狩郡に属していました。
「石狩市」という名前
「石狩」は、アイヌ語に由来する地名で、石狩川が曲がりくねって流れる姿を表した名とする説が多く、「イ・シカラ・ペッ」(回流する川)が変わったものとする説があります。ほかに、「イシ・カラ」(美しく作る)に由来するとする説などもあります。厚田はオヒョウニレの大木が密生する土地を「アッテコタン」と呼んだことから、浜益はニシンの多いところを意味する「マシュキニ」などから変わったと伝わります。
まちの成り立ち
石狩では、慶長年間に松前氏が石狩場所を置き、1706年(宝永3年)に松前の村山伝兵衛が漁場の支配のため石狩に来住して、和人が住み始めたとされます。1869年(明治2年)に開拓使の石狩出張所が置かれました。1902年(明治35年)4月1日、親船町外9町と生振村が合わさって石狩町になり、花畔村・樽川村が合わさって花川村になり、どちらも二級町村制を施行しました。同じ日に、厚田村・望来村、浜益村・黄金村も二級町村制を施行しています。1907年(明治40年)4月1日には石狩町と花川村が合併して石狩町になり、厚田村と浜益村もそれぞれ望来村・黄金村と合併して一級町村制を施行しました。戦後は札幌市のベッドタウンとして発達し、石狩湾新港の工業団地も開かれました。1996年(平成8年)9月1日、石狩町が市制を施行して石狩市になりました。2005年(平成17年)10月1日、厚田村と浜益村が石狩市に編入され、地域自治区が置かれています。
年表
- 1902年4月1日明治35年石狩郡の親船町外9町と生振村が合わさって石狩町に、花畔村と樽川村が合わさって花川村になり、それぞれ二級町村制を施行した。同じ日に厚田郡の厚田村・望来村、浜益郡の浜益村・黄金村も二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1907年4月1日明治40年石狩町と花川村が合わさって石狩町となり、一級町村制を施行した。同じ日に厚田村と望来村が厚田村に、浜益村と黄金村が浜益村にまとまり、それぞれ一級町村制を施行した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1975年4月15日昭和50年小樽市との境界変更で、石狩町の一部(石狩湾新港地区)が小樽市に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1990年6月1日平成2年小樽市との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1996年9月1日平成8年石狩町が市制を施行し、石狩市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2005年10月1日平成17年厚田郡の厚田村と浜益郡の浜益村が石狩市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。