今の更別村
十勝総合振興局の管内にあり、河西郡の南端に位置する村です。日高山脈の東に広がる扇状地にあり、大部分が火山灰に覆われたなだらかな台地です。村域の大半が耕地で、小麦、甜菜、じゃが芋、豆類などの畑作と酪農が盛んです。開拓が始まったころは柏の林が広がり、製炭や製材が主な産業でした。村内には道の駅や公園、温泉などの施設があります。
今の更別村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,080人です。今の区域で数えた1980年の3,624人とくらべると15.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.5%です。
主な産業:畑作と酪農が中心で、小麦、甜菜、じゃが芋、豆類などを作っています。
特産品・名産
- 十勝スイートコーン村の特産品・お土産に挙がる農産物
- さらべつピュアドライすもも村の特産品・お土産のひとつ
- つぶつぶでんぷん村の特産品・お土産のひとつ
見どころ・祭り
- 道の駅さらべつ 観光と物産の館ピポパ村の物産と観光の拠点
- さらべつカントリーパーク村内の公園施設
- 十勝スピードウェイ村内のサーキット
- どんぐり公園村内の公園
木柏花鈴蘭更別村の木・花
更別村のなりたち
更別村(さらべつむら)は、北海道十勝地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに更別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は河西郡に属していました。
「更別村」という名前
「更別」は、アイヌ語の「サラ・ペツ」(葦や茅が生い茂る地)を音写し、漢字を当てた名とされています。サラベツ川とサッチャルベツ川の流域が、葦や茅に覆われた平原だったことを表すとされています。「サルペッ」(ヨシ原・川)に由来するとする説もあります。村が置かれたのは1947年(昭和22年)で、大正村から分かれて更別村となりました。
まちの成り立ち
1905年(明治38年)に富山県の山田嘉一郎が勢雄に入植したのが開拓の始まりとされています。1916年(大正5年)からは入植者が続き、1917年に島根県の団体26戸が元更別に移りました。1920年には愛媛・山形の団体25戸と青森の団体20戸が、翌1921年には徳島の団体10戸が相次いで移っています。もとは中川郡幕別村に属していた地域は、住民の願いにより1926年(大正15年)4月1日に河西郡大正村に属しました。1930年(昭和5年)には広尾線が開通しています。1947年(昭和22年)9月1日に大正村の一部が分かれ、更別村と中札内村が設置されました。更別村には旧大正村の幸震・幕別・別奴の3大字の各一部が入っています。翌1948年(昭和23年)4月1日には幕別町から字勢雄と字弘和の一部を編入しました。2011年(平成23年)6月1日にも幕別町と境界を変更しています。発足のあと、ほかの市町村と合併したことはありません。
年表
- 1926年4月1日大正15年中川郡幕別村との境界変更で、今の更別村の地域を含む幕別村の一部が河西郡大正村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1947年9月1日昭和22年大正村の一部が分かれて更別村が置かれた。同じ日に中札内村も大正村から分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1948年4月1日昭和23年幕別町との境界変更で、幕別町の字勢雄と字弘和の一部が更別村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2011年6月1日平成23年幕別町との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。