今の安八町
岐阜県南西部、濃尾平野の北西部にある町で、揖斐川と長良川にはさまれた南北に細長い形をしています。かつては川が網の目のように流れる低湿地で、1976年の台風17号では長良川の堤防が決壊し、大きな水害に見舞われました。現在は米や野菜を産する県内有数の穀倉地帯であるとともに、乳製品や化学製品などの大きな事業所が立つ工業の町でもあります。東海道新幹線の車窓から見える太陽光発電施設ソーラーアークや、梅の名所・安八百梅園があります。
今の安八町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,355人です。今の区域で数えた1975年の13,014人とくらべると10.3%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.7%です。
主な産業:米・野菜・酪農などの農業と、乳製品・化学製品・電子関連などの製造業が営まれています。
特産品・名産
- ほうれん草うどん町の特産品として知られるうどん
- 百梅うどん町の特産品として知られるうどん
- よもぎうどん町の特産品の生うどん
- あはちま漬大根の醤油漬や甘酢漬
見どころ・祭り
- 安八百梅園100種・1,200本以上の梅が植わる公園
- ソーラーアーク新幹線沿いに立つ太陽光発電施設
- 結神社縁結びなどのご利益で知られる神社
- 安八温泉町内の温泉
木もくせい花すいせん安八町の木・花
安八町のなりたち
安八町(あんぱちちょう)は、岐阜県西濃地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。結村・名森村・牧村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の安八町になりました。
今の名前「安八町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の名森村が約10km²だったのに対し、今の安八町は約18km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は安八郡に属していました。
「安八町」という名前
町名の「安八」は、この地域が属する郡の名「安八郡」から取ったものです。1955年(昭和30年)に名森村・結村・牧村の3村が合併した際、どの村の名も使わずに郡名を新しい村名とし、1960年(昭和35年)の町制施行で安八町となりました。「安八」という郡名そのものの語源は、今回の調査では確かめられませんでした。
まちの成り立ち
安八町は、長良川と揖斐川にはさまれた輪中地帯の北部にある町です。1889年(明治22年)7月1日の町村制では、安八郡のこの地域に森部村・大森村・南条村・氷取村・大明神村・善光村・中村・中須村・大野村・南今ヶ淵村・北今ヶ淵村、西結村・東結村、牧村・馬瀬村といった小さな村が置かれました。1897年(明治30年)4月1日の統合で、森部村など11村が名森村に、西結村と東結村が結村に、牧村と馬瀬村が牧村にまとまります。1929年(昭和4年)には、上流の本巣郡側の水はけをよくするための犀川の付け替え計画に、結村・名森村・牧村を含む安八郡の7町村がこぞって反対し、住民と警察が衝突する犀川事件が起きました。1948年(昭和23年)10月1日には牧村のうち馬瀬が大垣市に編入されています。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に名森村・結村・牧村が合併して安八村が発足し、1960年(昭和35年)4月1日に町制を施行して安八町となりました。1976年(昭和51年)9月12日には台風17号の豪雨で長良川の堤防が切れ、安八町と墨俣町にまたがる大きな水害となりました。平成の大合併では西濃圏域合併協議会に加わりましたが、2004年8月に離脱し、単独の町を続けています。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、安八郡に森部村・大森村・南条村・氷取村・大明神村・善光村・中村・中須村・大野村・南今ヶ淵村・北今ヶ淵村・西結村・東結村・牧村・馬瀬村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年村の統合が行われ、氷取村・大明神村・南今ヶ淵村・北今ヶ淵村・森部村・大森村・南条村・中村・善光村・大野村・中須村が名森村に、西結村と東結村が結村に、牧村と馬瀬村が牧村にまとまった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1948年10月1日昭和23年牧村の一部(馬瀬)が大垣市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年名森村・結村・牧村が合併し、安八村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年安八村が町制を施行し、安八町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。