今の棚倉町
福島県中通り南部、東白川郡にある町です。江戸時代は棚倉藩の城下町でした。県境の八溝山が西南の端にあり、久慈川の上流部と社川が流れます。国道289号や118号で白河市、須賀川市、いわき市方面へつながります。ブルーベリーやいちごの栽培が盛んで、工場も立地します。国の史跡の流廃寺跡や、都々古別神社などの文化財が残ります。
今の棚倉町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,343人です。今の区域で数えた1980年の16,105人とくらべると17.1%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.1%です。
主な産業:ブルーベリーやいちご、米などの農業と、工場が立地する製造業があります。
特産品・名産
- 棚倉ブルーベリー町の特産品として紹介される
- 棚倉いちご町の特産品として紹介される
- 棚倉産コシヒカリ町の特産品として紹介される米
- タナクラクレイ商品町の特産品として紹介される商品
見どころ・祭り
- 棚倉城跡棚倉藩の城下町の中心にあたる城跡
- 流廃寺跡国指定史跡
- 馬場都々古別神社本殿は国の重要文化財
- 山本不動尊町内の観光名所
木マツ花ツツジ棚倉町の木・花
棚倉町のなりたち
棚倉町(たなぐらまち)は、福島県県南地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。社川村・高野村・山岡村・近津村・棚倉町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の棚倉町になりました。
今の名前「棚倉町」は、1920年にあった棚倉町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の棚倉町が約14km²だったのに対し、今の棚倉町は約162km²と、およそ11.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東白川郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧近津村の区域には近津駅(水郡線)があります。
「棚倉町」という名前
町名は、江戸時代に棚倉藩の城下町として栄えた棚倉の名を受けついでいます。1889年(明治22年)の町村制で東白川郡棚倉町が生まれ、1955年(昭和30年)にまわりの4つの村と合併したあとも、棚倉町の名が使われました。「棚倉」という地名そのものの由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
福島県中通り南部、東白川郡の町です。江戸時代は棚倉藩の城下町で、中心部には棚倉城跡があります。県境の八溝山が町の西南の端にあり、久慈川の上流部と、阿武隈川水系の社川が流れます。町は、奈良・平安時代にもこの地方の文化の中心地だったと紹介しており、流廃寺跡からは金銀象嵌の鉄剣が見つかっています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、東白川郡棚倉町と、まわりの社川村・高野村・近津村・山岡村が生まれました。1910年(明治43年)には、社川村の一部(仁公儀・花園・檜木)が棚倉町に入っています。1932年(昭和7年)に水郡線の磐城塙と磐城棚倉の間が開業し、1940年(昭和15年)には中心部の大火で100戸あまりが焼けました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)1月1日に棚倉町・社川村・高野村・近津村・山岡村が合併し、改めて棚倉町が発足しました。馬場都々古別神社の本殿は国の重要文化財です。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、町内で震度6弱を観測しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東白川郡棚倉町が単独で町制を施行した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東白川郡に社川村・高野村・近津村・山岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1910年4月1日明治43年東白川郡社川村の一部(仁公儀・花園・檜木)が棚倉町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年東白川郡の棚倉町・社川村・高野村・近津村・山岡村が合併し、改めて棚倉町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。