今の矢祭町
福島県の最南端に近く、茨城県と栃木県に接する町です。町の中心に矢祭山があり、その周りを久慈川が南北に流れます。西の端の八溝山は、県境の山です。久慈川の鮎や、八溝山麓のゆず、戸津辺の桜が知られます。茨城県北部の大子町などとの結び付きが強く、水郡線が通ります。2001年には、市町村合併をしない矢祭町宣言を町議会が可決しました。
今の矢祭町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,392人です。今の区域で数えた1980年の8,074人とくらべると33.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.4%です。
主な産業:農林業が中心で、久慈川の鮎やゆずなどの産物があります。
特産品・名産
- 久慈川の鮎久慈川でとれる鮎
- 八溝山麓のゆず八溝山麓で栽培されるゆず
見どころ・祭り
- 矢祭山公園つつじが彩る景勝地
- あゆのつり橋矢祭山にかかるつり橋
- 滝川渓谷遊歩道町内の渓谷の遊歩道
- 戸津辺の桜エドヒガン。県指定天然記念物
- 八溝山茨城・栃木との県境の山
木赤松花つつじ鳥山鳩矢祭町の木・花・鳥
矢祭町のなりたち
矢祭町(やまつりまち)は、福島県県南地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。高城村・豊里村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の矢祭町になりました。
今の名前「矢祭町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は東白川郡に属していました。
「矢祭町」という名前
矢祭町の名の由来は、はっきりしていません。町のほぼ中心には、景勝地の矢祭山があります。町の名は、1955年(昭和30年)3月31日に豊里村と高城村の一部が合併して矢祭村が発足したときに付けられました。矢祭村は1963年(昭和38年)1月1日に町制を施行し、矢祭町になりました。
まちの成り立ち
福島県の最南端に近く、茨城県との県境に接する町です。町のほぼ中心に矢祭山があり、その周りを回るように久慈川が南北に流れます。西の端には八溝山があり、南は茨城県、西は栃木県との県境になっています。1889年(明治22年)の町村制で、この地域には豊里村と高城村、石井村が発足しました。1955年(昭和30年)3月31日に、豊里村と高城村の一部(茗荷・内川・関岡)が合併して、東白川郡矢祭村が発足しました。1957年(昭和32年)1月10日には、塙町のうち旧石井村の一部(中石井・下石井・戸塚)が矢祭村に編入されました。1963年(昭和38年)1月1日に町制を施行して矢祭町になりました。2001年(平成13年)10月31日、町議会は市町村合併をしない矢祭町宣言を可決し、平成の大合併の時期に全国で話題になりました。県の最南端に位置するため、茨城県北部の大子町などとの結び付きが強い町です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東白川郡に豊里村・高城村・石井村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年豊里村と高城村の一部(茗荷・内川・関岡)が合併し、矢祭村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年1月10日昭和32年塙町の一部(中石井・下石井・戸塚)が矢祭村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1963年1月1日昭和38年矢祭村が町制を施行し、矢祭町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。