宮崎県

宮崎県みやざきけん

1920年に73あった市町村が、今は26に。宮崎県の市町村が合わさってきた100年を、地図で再生します。

73→ 26

宮崎県の合併のあゆみ

宮崎県には、1920年(大正9年)の時点で73の市町村がありました。それが、昭和の大合併を経た1961年の終わりには34に、平成の大合併の前の2000年には30になり、今は26の市町村になっています。

いちばん大きく減ったのは昭和の大合併のころで、とくに1955年には、県内で7回の合併・編入がありました。平成の大合併では、2006年に5つの市町村が合わさって都城市が生まれた、2006年に4つの市町村が加わって宮崎市が広がった、2006年に3つの市町村が合わさって美郷町が生まれたことなどが続きました。

今の市町村でいちばん広いのは延岡市で、面積は約868km²です。また、小林市には西諸県の小林町だった土地、小林市には西諸県の野尻村だった土地、小林市には西諸県の紙屋村だった土地、小林市には西諸県の須木村だった土地、綾町には東諸県の綾村だった土地、高原町には西諸県の高原村だった土地、宮崎市には東諸県の高岡町だった土地、宮崎市には東諸県の穆佐村だった土地、宮崎市には東諸県の倉岡村だった土地、三股町には北諸県の三股村だった土地、都城市には北諸県の都城町だった土地、都城市には北諸県の高城村だった土地、都城市には北諸県の高崎村だった土地、都城市には北諸県の山之口村だった土地、都城市には北諸県の山田村だった土地、都城市には北諸県の中郷村だった土地、都城市には北諸県の荘内町だった土地、都城市には北諸県の西岳村だった土地、都城市には北諸県の庄内村だった土地、都城市には北諸県の志和池村だった土地、都城市には北諸県の沖水村だった土地、都城市には北諸県の五十市村だった土地、国富町には東諸県の国富町だった土地、国富町には東諸県の木脇村だった土地、国富町には東諸県の八代村だった土地、国富町には東諸県の本庄町だった土地、えびの市には西諸県のえびの町だった土地、えびの市には西諸県の飯野村だった土地、えびの市には西諸県の真幸村だった土地、えびの市には西諸県の加久藤村だった土地が含まれていて、県境を越えた合併も見られます。

下の地図で再生ボタンを押すと、1889年の町村制のあとから今まで、市町村の境界が合わさっていく様子を見られます。地図の上の市町村を押すと、それぞれのまちの詳しい系譜のページへ移ります。

今の26市町村

点の数は、1920年にその区域にあった町村の数です。

消えた町村の名前(62)

1920年にあって、今は自治体の名前としては残っていない町村です。押すと、今そこがどのまちになっているかがわかります。