今の延岡市
今の延岡市の区域の人口は、2020年の国勢調査で118,394人です。今の区域で数えた1980年の154,881人とくらべると23.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.8%です。
延岡市のなりたち
延岡市(のべおかし)は、宮崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。岡富村・恒富村・東海村・伊形村・南浦村・南方村・北浦村・北方村・北川村・延岡町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の延岡市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1930年(昭和5年)4月1日に岡富村・恒富村が合わさって、延岡町が生まれました。1933年(昭和8年)2月11日に延岡町が市になり、延岡市となりました(市制施行)。1936年(昭和11年)10月25日に東海村・伊形村が、延岡市に入りました(編入)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1955年(昭和30年)4月1日に南浦村・南方村が、延岡市に入りました(編入)。
その後、1970年(昭和45年)11月3日に北方村が町になり、北方町となりました(町制施行)。1972年(昭和47年)11月1日に北川村が町になり、北川町となりました(町制施行)。1972年(昭和47年)11月1日に北浦村が町になり、北浦町となりました(町制施行)。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)2月20日に北浦町・北方町が、延岡市に入りました(編入)。2007年(平成19年)3月31日に北川町が、延岡市に入りました(編入)。
今の名前「延岡市」は、1920年にあった延岡町の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は東臼杵郡に属していました。
年表
- 1930年4月1日昭和5年岡富村・恒富村が合わさって、延岡町が生まれた出典:wiki
- 1933年2月11日昭和8年延岡町が市になり、延岡市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1936年10月25日昭和11年東海村・伊形村が、延岡市に入った(編入)出典:wiki
- 1955年4月1日昭和30年南浦村・南方村が、延岡市に入った(編入)出典:wiki
- 1970年11月3日昭和45年北方村が町になり、北方町となった(町制施行)e-Stat「北方村(45426)が北方町(45426)に町制施行」
- 1972年11月1日昭和47年北川村が町になり、北川町となった(町制施行)e-Stat「北川村(45427)が北川町(45427)に町制施行」
- 1972年11月1日昭和47年北浦村が町になり、北浦町となった(町制施行)e-Stat「北浦村(45428)が北浦町(45428)に町制施行」
- 2006年2月20日平成18年北浦町・北方町が、延岡市に入った(編入)e-Stat「北方町(45426)、北浦町(45428)が延岡市(45203)に編入」
- 2007年3月31日平成19年北川町が、延岡市に入った(編入)e-Stat「北川町(45427)が延岡市(45203)に編入」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。