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宮崎市みやざきし

1920年には18の町村だった区域が、11回の合併・編入を経て、今の宮崎市になりました。

18町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の宮崎市

今の宮崎市の区域の人口は、2020年の国勢調査で401,339人です。今の区域で数えた1980年の329,751人とくらべると21.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.4%です。

401,339人人口(2020年)
+21.7%1980年からの増減
643.57km²面積(国土地理院)
624人/km²人口密度
28.4%65歳以上の割合
401,3391980199020052020
15歳未満 13.8%15〜64歳 57.7%65歳以上 28.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

宮崎市のなりたち

宮崎市(みやざきし)は、宮崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、18の町村がありました。大宮村・大淀町・赤江村・檍村・瓜生野村・倉岡村・木花村・青島村・那珂村・穆佐村・住吉村・広瀬村・生目村・佐土原町・高岡町・田野村・清武村・宮崎町です。これらの町村が、11回の合併や編入を経て、今の宮崎市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1924年(大正13年)4月1日に大宮村・大淀町が合わさって、宮崎市が生まれました。1924年(大正13年)4月1日に宮崎町が市になり、宮崎市となりました(市制施行)。1926年(大正15年)4月1日に赤江村が、宮崎市と一つになりました。1932年(昭和7年)4月20日に檍村が、宮崎市に入りました(編入)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1950年(昭和25年)5月3日に清武村が町になり、清武町となりました(町制施行)。1950年(昭和25年)5月3日に田野村が町になり、田野町となりました(町制施行)。1951年(昭和26年)3月25日に瓜生野村・倉岡村・木花村・青島村が、宮崎市に入りました(編入)。1951年(昭和26年)4月1日に広瀬村が町になり、広瀬町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)4月1日に那珂村が合わさって、佐土原町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に穆佐村が合わさって、高岡町が生まれました。1957年(昭和32年)10月1日に住吉村が、宮崎市に入りました(編入)。1958年(昭和33年)4月1日に広瀬町が合わさって、佐土原町が生まれました。この時期だけで8回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

その後、1963年(昭和38年)4月1日に生目村が、宮崎市に入りました(編入)。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)1月1日に佐土原町・高岡町・田野町が、宮崎市に入りました(編入)。2010年(平成22年)3月23日に清武町が、宮崎市に入りました(編入)。

今の名前「宮崎市」は、1920年にあった宮崎町の名前を受け継いでいます。ほかの17の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は宮崎郡・東諸県郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、宮崎郡は2010年(平成22年)3月23日に廃止されました。

この区域には、もとは宮崎県ではなかった土地も含まれています。東諸県の高岡町・東諸県の穆佐村・東諸県の倉岡村がそれで、県境を越えた合併(越境合併)によって宮崎県に加わりました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧木花村の区域には木花駅(日南線)があります。旧青島村の区域には青島駅(日南線)があります。旧広瀬村の区域には広瀬駅(日豊本線)があります。旧佐土原町の区域には佐土原駅(日豊本線)があります。旧田野村の区域には田野駅(日豊本線)があります。

181920年の町村の数
11回合併・編入の回数
644km²今の面積
2010年いちばん新しい合併

年表

  1. 1924年4月1日大正13年大宮村・大淀町が合わさって、宮崎市が生まれた出典:wiki
  2. 1924年4月1日大正13年宮崎町が市になり、宮崎市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  3. 1926年4月1日大正15年赤江村が、宮崎市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  4. 1932年4月20日昭和7年檍村が、宮崎市に入った(編入)出典:wiki
  5. 1950年5月3日昭和25年清武村が町になり、清武町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  6. 1950年5月3日昭和25年田野村が町になり、田野町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  7. 1951年3月25日昭和26年瓜生野村・倉岡村・木花村・青島村が、宮崎市に入った(編入)出典:wiki
  8. 1951年4月1日昭和26年広瀬村が町になり、広瀬町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  9. 1955年4月1日昭和30年那珂村が合わさって、佐土原町が生まれた出典:wiki
  10. 1955年4月1日昭和30年穆佐村が合わさって、高岡町が生まれた出典:wiki
  11. 1957年10月1日昭和32年住吉村が、宮崎市に入った(編入)出典:wiki
  12. 1958年4月1日昭和33年広瀬町が合わさって、佐土原町が生まれた出典:wiki
  13. 1963年4月1日昭和38年生目村が、宮崎市に入った(編入)出典:wiki
  14. 2006年1月1日平成18年佐土原町・高岡町・田野町が、宮崎市に入った(編入)e-Stat「田野町(45302)が宮崎市(45201)に編入」
  15. 2010年3月23日平成22年清武町が、宮崎市に入った(編入)e-Stat「清武町(45301)が宮崎市(45201)に編入 宮崎郡(45300)の廃止」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

宮崎町→宮崎市1889〜今
清武村→清武町1891〜2010同じ名前の駅:清武駅
佐土原町1896〜2006同じ名前の駅:佐土原駅
広瀬村→広瀬町1889〜1958同じ名前の駅:広瀬駅
那珂村1889〜1955
高岡町1889〜2006東諸県から
穆佐村1889〜1955東諸県から
田野村→田野町1889〜2006同じ名前の駅:田野駅
生目村1889〜1963
住吉村1889〜1957
瓜生野村1889〜1951
倉岡村1889〜1951東諸県から
木花村1889〜1951同じ名前の駅:木花駅
青島村1889〜1951同じ名前の駅:青島駅
檍村1889〜1932
赤江村1889〜1926
大宮村1889〜1924
大淀町1917〜1924