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国富町くにとみちょう

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の国富町になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の国富町

今の国富町の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,398人です。今の区域で数えた1980年の19,864人とくらべると7.4%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.3%です。

18,398人人口(2020年)
−7.4%1980年からの増減
130.63km²面積(国土地理院)
141人/km²人口密度
37.3%65歳以上の割合
22,3671980199020052020
15歳未満 11.5%15〜64歳 51.2%65歳以上 37.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

国富町のなりたち

国富町(くにとみちょう)は、宮崎県の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。八代村・本庄町・木脇村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の国富町になりました。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1956年(昭和31年)9月30日に八代村・本庄町が合わさって、国富町が生まれました。1957年(昭和32年)3月31日に木脇村が、国富町に入りました(編入)。

今の名前「国富町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の八代村が約82km²だったのに対し、今の国富町は約125km²と、およそ1.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は東諸県郡に属していました。

この区域には、もとは宮崎県ではなかった土地も含まれています。東諸県の国富町・東諸県の木脇村・東諸県の八代村・東諸県の本庄町がそれで、県境を越えた合併(越境合併)によって宮崎県に加わりました。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
131km²今の面積
1957年いちばん新しい合併

年表

  1. 1956年9月30日昭和31年八代村・本庄町が合わさって、国富町が生まれた出典:wiki
  2. 1957年3月31日昭和32年木脇村が、国富町に入った(編入)出典:wiki

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

国富町1956〜今東諸県から
木脇村1889〜1957東諸県から
八代村1889〜1956東諸県から
本庄町1919〜1956東諸県から