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西都市さいとし

1920年には6の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の西都市になりました。

6町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の西都市

今の西都市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,610人です。今の区域で数えた1980年の37,836人とくらべると24.4%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.3%です。

28,610人人口(2020年)
−24.4%1980年からの増減
438.79km²面積(国土地理院)
65人/km²人口密度
38.3%65歳以上の割合
38,3701980199020052020
15歳未満 11.6%15〜64歳 50.1%65歳以上 38.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

西都市のなりたち

西都市(さいとし)は、宮崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。上穂北村・下穂北村・三納村・都於郡村・東米良村・三財村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の西都市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1924年(大正13年)4月1日に下穂北村が町になり、妻町となりました(町制施行)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1955年(昭和30年)4月1日に上穂北村・妻町が合わさって、西都市が生まれました。1958年(昭和33年)4月1日に三納村・都於郡村が、西都市に入りました(編入)。1958年ごろに西都町が市になり、西都市となりました(市制施行)。この時期だけで3回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

その後、1962年(昭和37年)4月1日に東米良村・三財村が、西都市に入りました(編入)。

今の名前「西都市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の東米良村が約167km²だったのに対し、今の西都市は約419km²と、およそ2.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は児湯郡に属していました。

61920年の町村の数
3回合併・編入の回数
439km²今の面積
1962年いちばん新しい合併

年表

  1. 1924年4月1日大正13年下穂北村が町になり、妻町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1955年4月1日昭和30年上穂北村・妻町が合わさって、西都市が生まれた出典:wiki
  3. 1958年4月1日昭和33年三納村・都於郡村が、西都市に入った(編入)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日・wiki
  4. 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ西都町が市になり、西都市となった(市制施行)
  5. 1962年4月1日昭和37年東米良村・三財村が、西都市に入った(編入)出典:wiki

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

西都町→西都市1955〜今
東米良村1889〜1962
三財村1889〜1962
三納村1889〜1958
都於郡村1889〜1958
上穂北村1889〜1955
下穂北村→妻町1889〜1955