今の菰野町
三重県北部、三重郡にある町で、西は鈴鹿山脈の御在所岳や鎌ヶ岳などの山並みが連なり、東へ向かって平野が開けます。町内を三滝川と朝明川が流れ、西部は鈴鹿国定公園に含まれます。湯の山温泉や御在所ロープウェイを目当てに多くの人が訪れる観光のまちで、名古屋圏や四日市市に近い住宅地としての顔も持っています。
今の菰野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,559人です。今の区域で数えた1980年の29,373人とくらべると38.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.5%です。
主な産業:湯の山温泉や御在所岳を中心とした観光が盛んで、四日市市や名古屋圏に近い住宅地としても発展しています。
特産品・名産
- マコモ町名の由来とされる植物で、町が特産化を進めている
- 菰野茶・こもの石・こもの萬古県の市町要覧で名産・特産品として挙げられる
見どころ・祭り
- 御在所岳・御在所ロープウェイ鈴鹿山脈の山。紅葉の名所
- 湯の山温泉鈴鹿山麓の温泉街
- 竹成五百羅漢三重県指定史跡
- 千種城跡千種氏の居城跡で三重県指定史跡
- 田光のシデコブシ及び湿地植物群落2005年に国の天然記念物に指定
木ケヤキ花コモノギク鳥ウグイス菰野町の木・花・鳥
菰野町のなりたち
菰野町(こものちょう)は、三重県北勢地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。朝上村・千種村・竹永村・鵜川原村・菰野村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の菰野町になりました。
今の名前「菰野町」は、1920年にあった菰野村の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の菰野村が約26km²だったのに対し、今の菰野町は約106km²と、およそ4.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三重郡に属していました。
「菰野町」という名前
開拓される前のこの一帯は、マコモ(真菰、イネ科の多年草)などが生い茂る原野だったため「こもの」と呼ばれるようになったと伝えられます。「薦野」「古茂野」と書かれることもありました。今も町はマコモを特産にする取り組みを続けています。
まちの成り立ち
菰野は、1600年(慶長5年)に土方雄氏が菰野城に入って菰野藩(1万2千石)を開いてから、城下町として発展しました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、三重郡に菰野村・千種村・鵜川原村が、朝明郡に竹永村・朝上村ができました。1896年(明治29年)に朝明郡と三重郡が一つになり、5村はすべて三重郡に属しました。菰野村は1928年(昭和3年)10月1日に町制を施行して菰野町となりました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に朝上村と千種村が合併して朝明村ができ、1956年(昭和31年)9月30日に菰野町・鵜川原村・竹永村が合併して新しい菰野町が発足しました。翌1957年(昭和32年)1月15日に朝明村を編入し、今の町の形になりました。その後は合併をせず、三重郡の町として続いています。1959年には御在所ロープウェイが開通し、湯の山温泉とともに観光地として知られています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三重郡に菰野村・千種村・鵜川原村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、朝明郡に竹永村・朝上村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年三重郡と朝明郡の区域で新たな三重郡が発足し、竹永村・朝上村は三重郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1928年10月1日昭和3年三重郡菰野村が町制を施行して菰野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年三重郡の朝上村・千種村が合併して朝明村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年三重郡の菰野町・鵜川原村・竹永村が合併して、改めて菰野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年1月15日昭和32年三重郡朝明村が菰野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。