今の鈴鹿市
三重県の中北部、伊勢湾に面する市で、西に鈴鹿山脈の山並み、東に白子や若松の海岸があり、中央を鈴鹿川や安楽川が流れます。市域の一部は鈴鹿国定公園です。江戸時代は東海道の石薬師宿・庄野宿、伊勢街道の神戸宿・白子宿が栄え、現在は鈴鹿サーキットで世界に知られる一方、自動車などの工業と農業がともに盛んなまちです。
今の鈴鹿市の区域の人口は、2020年の国勢調査で195,670人です。今の区域で数えた1980年の156,250人とくらべると25.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は26.7%です。
主な産業:海軍施設の跡地に誘致された自動車・電機などの工業が盛んで、製造品出荷額は県内2位です。農業や、伊勢形紙・鈴鹿墨といった伝統産業もあります。
特産品・名産
- 伊勢形紙着物の型染めに使う型紙。鈴鹿の伝統産業
- 鈴鹿墨鈴鹿の伝統産業
- 立石餅神戸宿の名物。細長い餅の中に餡が入る
- 茶・さつき県の市町要覧で名産・特産品として挙げられる
見どころ・祭り
- 鈴鹿サーキット1962年開場のレース場
- 椿大神社鈴鹿の名社
- 神戸城跡県史跡。神戸藩の城跡
- 伊勢国分寺跡伊勢国の国分寺の跡
- 白子不断ザクラ子安観音寺の国の天然記念物
木ケヤキ花サツキ鈴鹿市の木・花
鈴鹿市のなりたち
鈴鹿市(すずかし)は、三重県北勢地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、22の町村がありました。石薬師村・河曲村・高津瀬村・一ノ宮村・牧田村・箕田村・庄野村・神戸町・玉垣村・飯野村・若松村・国府村・稲生村・白子町・天名村・合川村・栄村・井田川村・庄内村・椿村・深伊沢村・久間田村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の鈴鹿市になりました。
今の名前「鈴鹿市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの22の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の庄内村が約36km²だったのに対し、今の鈴鹿市は約192km²と、およそ5.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河芸郡・鈴鹿郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、鈴鹿郡は2005年(平成17年)1月11日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧河曲村の区域には河曲駅(関西本線)があります。旧玉垣村の区域には玉垣駅(伊勢鉄道 伊勢線)があります。旧稲生村の区域には稲生駅(伊勢鉄道 伊勢線)があります。
「鈴鹿市」という名前
市の区域は、もとの河曲郡・奄芸郡(1896年から河芸郡)と鈴鹿郡にまたがっています。1938年(昭和13年)に河芸郡白子町などに置かれた海軍の航空隊は、合成地名の「河芸」や読みにくい「河曲」「奄芸」ではなく、山脈や峠の名で知られた「鈴鹿」を名乗りました。1942年(昭和17年)の合併は海軍が主導したもので、市域の多くは旧河芸郡でしたが、市名も「鈴鹿」となりました。
まちの成り立ち
鈴鹿市の地域には、江戸時代、神戸藩の城下町の神戸、紀州藩領の港町の白子、東海道の石薬師宿・庄野宿などがありました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、河曲郡に神戸町など、奄芸郡に白子町など、鈴鹿郡に国府村などの町村ができ、1896年(明治29年)に河曲郡と奄芸郡は河芸郡になりました。1942年(昭和17年)12月1日、海軍の航空隊と工廠を一体で運営するため、河芸郡の白子町・神戸町など2町7村と、鈴鹿郡の国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村が合併して鈴鹿市が発足しました。戦後の1954年(昭和29年)には天名村・合川村・栄村を編入し、同じ年に亀山市から旧井田川村の東部も加わりました。鈴鹿郡では1956年(昭和31年)に鈴峰村と三鈴村ができ、1957年(昭和32年)に三鈴村の大部分が鈴鹿市に入り、1967年(昭和42年)4月1日に鈴峰村を編入して今の市域になりました。戦後は海軍施設の跡地に自動車や電機の工場が進出し、1962年(昭和37年)には鈴鹿サーキットが開場しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、鈴鹿郡に国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村・深伊沢村・庄内村と井田川村・久間田村・椿村(いずれも一部が現在の鈴鹿市域)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河曲郡に神戸町・飯野村・川曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、奄芸郡に白子町・稲生村・天名村・合川村・栄村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年6月12日明治24年河曲郡川曲村が河曲村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年河曲郡と奄芸郡の区域で河芸郡が発足し、各町村は河芸郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1942年12月1日昭和17年河芸郡の白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村と鈴鹿郡の国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村が合併し、市制を敷いて鈴鹿市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年河芸郡天名村・合川村・栄村が鈴鹿市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年12月1日昭和29年亀山市の一部(旧井田川村の小田・西富田・中富田・和泉)が鈴鹿市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年鈴鹿郡の深伊沢村・庄内村が合併して鈴峰村が、久間田村・椿村が合併して三鈴村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年4月15日昭和32年鈴鹿郡三鈴村が分割され、下大久保・岸田・山本・小社・小岐須・大久保が鈴鹿市に、南小松・鹿間・和無田・野田が四日市市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1957年6月15日昭和32年鈴峰村が鈴鹿市の一部(小社町・小岐須町)を編入し、鈴峰村の一部(深溝・三畑町・追分)が鈴鹿市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1967年4月1日昭和42年鈴鹿郡鈴峰村が鈴鹿市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。