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紀北町きほくちょう

1920年には8の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の紀北町になりました。

8町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の紀北町

三重県南部、北牟婁郡にある町で、東紀州の玄関口にあたります。東南部は熊野灘に面したリアス海岸、西北部は大台山系に連なる険しい山々で、町の面積の9割近くを森林が占めます。平地は少なく、市街地は赤羽川や船津川・銚子川の下流部に開けています。熊野古道伊勢路が通り、水産業と林業が盛んです。

今の紀北町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,604人です。今の区域で数えた1980年の26,268人とくらべると44.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.0%です。

14,604人人口(2020年)
−44.4%1980年からの増減
256.55km²面積(国土地理院)
57人/km²人口密度
46.0%65歳以上の割合
26,2681980199020052020
15歳未満 8.0%15〜64歳 46.0%65歳以上 46.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:水産業(鮮魚・渡利かき・干物・鰹節など)と林業(ヒノキ)が中心です。

特産品・名産

  • 渡利かき町の特産品として挙げられるカキ
  • マンボウ町の魚。ブリの定置網でよく混獲され、12月から5月に水揚げが多い
  • ヒノキ林業の産品
  • 干物・鰹節水産加工品

見どころ・祭り

  • 熊野参詣道伊勢路国の史跡。町内にツヅラト峠・始神峠・馬越峠がある
  • 魚飛渓銚子川上流の渓谷
  • 燈籠祭毎年7月下旬に開催
  • 長島城跡町指定史跡
  • 古里温泉きいながしま古里温泉

木ヒノキ花ササユリ鳥カンムリウミスズメ紀北町の木・花・鳥

紀北町のなりたち

紀北町(きほくちょう)は、三重県東紀州地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。二郷村・相賀村・船津村・引本町・桂城村・三野瀬村・赤羽村・長島町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の紀北町になりました。

今の名前「紀北町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の相賀村が約116km²だったのに対し、今の紀北町は約251km²と、およそ2.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北牟婁郡に属していました。

81920年の町村の数
5回合併・編入の回数
257km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「紀北町」という名前

「紀北」は、2005年に紀伊長島町と海山町が合併したときにつけられた町名で、どちらの旧町の名でもありません。名前の由来をはっきり記した資料は確認できませんでした。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には北牟婁郡の長島村・三野瀬村・二郷村・赤羽村・相賀村・船津村・引本村ができました。1897年(明治30年)には引本村から島勝浦・白浦が分かれて桂城村となり、1899年(明治32年)には引本村と長島村が町制を施行しています。相賀村も1928年(昭和3年)に町制を施行して相賀町となりました。1950年(昭和25年)に二郷村が長島町に編入され、昭和の大合併期の1954年(昭和29年)8月1日には引本町・相賀町・船津村・桂城村が合併して海山町が発足しました。長島町は1955年(昭和30年)1月1日に三野瀬村と合併して改めて長島町となり、2月5日には赤羽村を編入しています。この長島町は1970年(昭和45年)に紀伊長島町と改称しました。平成の大合併で2005年(平成17年)10月11日に紀伊長島町と海山町が合併し、紀北町が生まれました。合併後しばらくは紀伊長島区・海山区の二つの地域自治区が置かれていました。JR紀勢本線の紀伊長島駅・三野瀬駅・船津駅・相賀駅の駅名に旧町村名が残ります。町内には世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成するツヅラト峠・始神峠・馬越峠があります。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北牟婁郡に相賀村・船津村・引本村(島勝浦・白浦を含む)・三野瀬村・長島村・赤羽村・二郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1897年5月31日明治30年引本村の一部(島勝浦・白浦)が分かれて桂城村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  3. 1899年2月21日明治32年北牟婁郡の引本村と長島村がそれぞれ町制を施行して引本町・長島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1928年11月3日昭和3年北牟婁郡相賀村が町制を施行して相賀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1934年9月1日昭和9年相賀町の読みが「おうがちょう」から「あいがちょう」に改められた。種類:改称 出典:Wikipedia
  6. 1950年12月15日昭和25年北牟婁郡二郷村が長島町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  7. 1954年8月1日昭和29年北牟婁郡の引本町・相賀町・船津村・桂城村が合併して海山町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1955年1月1日昭和30年北牟婁郡の長島町・三野瀬村が合併して、改めて長島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1955年2月5日昭和30年北牟婁郡赤羽村が長島町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 1970年8月1日昭和45年長島町が改称して紀伊長島町となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  11. 2005年10月11日平成17年北牟婁郡の紀伊長島町・海山町が合併して紀北町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

紀北町2005〜今
長島町→紀伊長島町1899〜2005
赤羽村1889〜1955
三野瀬村1889〜1955
二郷村1889〜1950
海山町1954〜2005
相賀村→相賀町1889〜1954
船津村1889〜1954
引本町1899〜1954
桂城村1897〜1954

参考にした資料