今の明和町
三重県の伊勢湾沿い、松阪市と伊勢市の間にある、おおむね平坦な町です。伊勢街道沿いにあり、古代には斎王が住んだ斎宮が置かれました。斎宮跡は国の史跡で、「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」は日本遺産に認定されています。土地は肥沃で、米や御薗大根などの農業が盛んです。
今の明和町の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,445人です。今の区域で数えた1980年の19,504人とくらべると15.1%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.3%です。
主な産業:農業(米・御薗大根など)、漁業(黒海苔など)、天然藍染の御糸織が営まれています。
特産品・名産
- 御絲米町内で作られる米
- 御薗大根伊勢たくあんの原料の主産地
- 黒海苔漁業の産品として挙げられる
- 御糸織天然藍染の地場産業
見どころ・祭り
- 斎宮跡1979年に国の史跡に指定。日本遺産「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」の中心
- 斎宮歴史博物館1989年10月開館
- いつきのみや歴史体験館1999年10月開館
- 斎王まつり毎年6月上旬
- 斎宮のハナショウブ群落国の天然記念物
木槇(イヌマキ)花のはなしょうぶ(どんど花)明和町の木・花
明和町のなりたち
明和町(めいわちょう)は、三重県南勢地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。下御糸村・大淀村・上御糸村・斎宮村・明星村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の明和町になりました。
今の名前「明和町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の斎宮村が約12km²だったのに対し、今の明和町は約40km²と、およそ3.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は多気郡に属していました。
「明和町」という名前
町名は、斎明村の「明」と三和町の「和」をとった合成地名です。斎明村の名も、斎宮村の「斎」と明星村の「明」を合わせたものでした。1958年の合併では、いったん「神郷町」として発足し、同じ日に「明和町」と改称しています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には多気郡の下御糸村・上御糸村・大淀村・斎宮村・明星村の五つの村ができました。大淀村は1924年(大正13年)2月11日に町制を施行して大淀町となっています。昭和の大合併期の1955年(昭和30年)4月1日に大淀町・上御糸村・下御糸村が合併して三和町が、4月15日には斎宮村と明星村が合併して斎明村が生まれました。1957年(昭和32年)には斎明村と度会郡小俣町の間で、明野開拓地と井倉の一部(字妻ヶ広)を互いに編入しています。1958年(昭和33年)9月3日、三和町と斎明村が合併して神郷町が発足し、即日、明和町に改めました。平成の大合併では、多気町・勢和村・度会町・玉城町との合併協議会が2004年に解散し、単独の町として続いています。古代には天皇の名代として伊勢神宮に仕えた斎王の住まい、斎宮が置かれた土地で、斎宮跡は1979年に国の史跡に指定されました。旧村名は斎宮・大淀などの地名に残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、多気郡に下御糸村・大淀村・上御糸村・明星村・斎宮村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1924年2月11日大正13年多気郡大淀村が町制を施行して大淀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年多気郡の大淀町・上御糸村・下御糸村が合併して三和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月15日昭和30年多気郡の斎宮村・明星村が合併して斎明村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年1月15日昭和32年斎明村の明野開拓地が度会郡小俣町に編入され、小俣町の一部(井倉字妻ヶ広)が斎明村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年9月3日昭和33年多気郡の三和町・斎明村が合併して神郷町が発足し、同日改称して明和町となった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。