今の紫波町
岩手県紫波郡にある町です。盛岡市と花巻市の中間に位置し、盛岡都市圏の南部にあたります。中央部を北上川が流れ、東側に北上高地、西側に奥羽山脈が連なります。国道4号など幹線が南北に通ります。米のほか、りんごやぶどうなどの果樹が栽培され、南部杜氏の発祥の地とされ、酒蔵があります。駅前の公有地の活用で生まれたオガール紫波が知られます。
今の紫波町の区域の人口は、2020年の国勢調査で32,147人です。今の区域で数えた1980年の27,787人とくらべると15.7%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.4%です。
主な産業:農業が中心で、稲作、果樹栽培、畜産、日本酒などの醸造業が営まれています。
特産品・名産
- ヒメノモチ町の特産品として載る水稲
- りんご・ぶどう町の果樹
- 日本酒南部杜氏の発祥地とされる
見どころ・祭り
- 志賀理和氣神社日本最北の式内社
- 勝源院の逆ガシワ国の天然記念物
- 樋爪館樋爪氏の居館跡
- 旧紫波郡役所庁舎岩手県指定文化財
- 山王海ダム町内のダム
木けやき花ききょう鳥つばめ紫波町の木・花・鳥
紫波町のなりたち
紫波町(しわちょう)は、岩手県県央の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。赤沢村・長岡村・水分村・古舘村・彦部村・日詰町・赤石村・志和村・佐比内村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の紫波町になりました。
今の名前「紫波町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの9の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の水分村が約72km²だったのに対し、今の紫波町は約250km²と、およそ3.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は紫波郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧日詰町の区域には日詰駅(東北本線)があります。
「紫波町」という名前
紫波という町名は、この地を治めた斯波氏の最後の当主、斯波詮直が詠んだ句に由来すると伝えられています。北上川の石に打ちよせる波が紫色に見えたことから「紫波」と名づけたというものです。このほか、河岸段丘の崖を指す言葉からきたとする説や、志和稲荷神社にちなむとする説もあります。古い記録には「子波」「斯波」「志和」とも書かれています。
「今日よりは紫波と名付けんこの川の石にうつ波紫に似て」── 紫波町「まちのプロフィール」
まちの成り立ち
平安時代の終わりには、平泉の藤原氏にゆかりのある樋爪氏がこの地を治めました。源頼朝が奥州へ攻め込んだときには、町内の陣ヶ岡に軍勢を集めて宿営したと伝えられています。室町時代には斯波氏が高水寺城を拠点に治めましたが、1588年(天正16年)に南部信直に攻められて滅び、城は郡山城と呼ばれるようになりました。江戸時代には城下の日詰が奥州街道の宿場として栄えました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、紫波郡に日詰町と古館村・水分村・志和村・赤石村・彦部村・佐比内村・赤沢村・長岡村が生まれました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日にこの1町8村が合併し、紫波町が発足しました。合併後しばらく町役場として使われた旧紫波郡役所の庁舎は、岩手県の文化財に指定されています。
1975年(昭和50年)に定められた町章は、カタカナの「シ」を図案にしたもので、田と畑を表し、産業の発展への願いが込められています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、紫波郡に日詰町と古館村・水分村・志和村・赤石村・彦部村・佐比内村・赤沢村・長岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年紫波郡の日詰町・赤石村・赤沢村・佐比内村・志和村・長岡村・彦部村・古館村・水分村が合併し、紫波町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。