今の矢巾町
岩手県のほぼ中心部、紫波郡にある町です。盛岡市の南に隣接する田園地帯で、稲作に適した県央の穀倉地帯です。中央部は北上盆地の平坦地で、東は北上川に区切られます。西には奥羽山脈に連なる南昌山などの山並みがあります。幣掛の滝、南昌山、矢巾温泉、徳丹城跡など名所旧跡が町内に多くあります。農業は米、麦、大豆が盛んで、工業団地もあります。
今の矢巾町の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,056人です。今の区域で数えた1980年の17,465人とくらべると60.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.6%です。
主な産業:米・麦・大豆の農業が盛んで、工業団地や商業施設もあります。
特産品・名産
- 山ぶどうジュース町の特産品紹介に載る
- 日本酒「南昌山」「徳丹城」町の名所の名をつけた酒
- 原木しいたけ町の特産品の一つ
見どころ・祭り
- 南昌山町のシンボルとされる山
- 徳丹城跡坂上田村麻呂が築いたとされる城跡
- 幣掛の滝町内の名所
- 矢巾温泉町内の温泉
矢巾町のなりたち
矢巾町(やはばちょう)は、岩手県県央の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。煙山村・徳田村・不動村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の矢巾町になりました。
今の名前「矢巾町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の煙山村が約33km²だったのに対し、今の矢巾町は約70km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は紫波郡に属していました。
「矢巾町」という名前
矢巾という地名の由来には、いくつかの説があります。前九年の役で源頼義が安倍貞任を討つため、矢羽根を集めさせたことにちなむとする説や、段差のある湿地のへりを指す「谷端場」からきたとする説などで、定説はありません。1955年(昭和30年)に3村が合併したとき、江戸時代からあった南矢幅村・北矢幅村の「やはば」の名をもとに、矢巾村と名づけられました。
まちの成り立ち
矢巾には縄文時代の遺跡が多く残っています。平安時代の初め、813年(弘仁4年)ごろには、朝廷が蝦夷を治めるための拠点として徳丹城を築きました。その後、県央の穀倉地帯として発展しました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、紫波郡に煙山村・徳田村・不動村が生まれました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月1日に3村が合併して矢巾村が発足し、1966年(昭和41年)5月1日に町制を施行して矢巾町になりました。
平成の大合併のころ、2004年(平成16年)には盛岡市・玉山村との合併協議に加わらないことを決め、町として歩む道を選びました。2007年(平成19年)には岩手医科大学の矢巾キャンパスが開かれ、盛岡市の南に接する住宅地としても人口が増えています。
1599年(慶長4年)には金山師の鎌津田甚六が鹿妻穴堰を開き、この地の米づくりを大きく支えました。町の特産品には、南昌山や徳丹城の名をつけた日本酒や山ぶどうジュースがあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、紫波郡に煙山村・徳田村・不動村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年紫波郡の煙山村・徳田村・不動村が合併し、矢巾村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1966年5月1日昭和41年紫波郡矢巾村が町制を施行し、矢巾町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。