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盛岡市もりおかし

1920年には15の町村だった区域が、10回の合併・編入を経て、今の盛岡市になりました。

15町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の盛岡市

岩手県の中央部にある県庁所在地で、中核市です。北上盆地のほぼ中央に位置し、市の中心部で北上川に雫石川と中津川が合流します。市街地から岩手山、早池峰山、姫神山などを望めます。南部氏の城下町として栄え、南部鉄器などの伝統工芸が受け継がれてきました。盛岡冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばの麺料理でも知られます。

今の盛岡市の区域の人口は、2020年の国勢調査で289,731人です。今の区域で数えた1980年の272,814人とくらべると6.2%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.4%です。

289,731人人口(2020年)
+6.2%1980年からの増減
930.8km²面積(概算)
311人/km²人口密度
28.4%65歳以上の割合
302,8571980199020052020
15歳未満 11.9%15〜64歳 59.6%65歳以上 28.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:県の行政・商業・交通の中心で、南部鉄器などの伝統産業も続いています。

特産品・名産

  • 盛岡冷麺盛岡三大麺のひとつ
  • わんこそば盛岡三大麺のひとつ
  • 南部鉄器市の伝統産業

見どころ・祭り

  • 盛岡城跡国の史跡の石垣が残る
  • 石割桜国の天然記念物
  • 上ノ橋擬宝珠国の重要美術品

木カツラ花カキツバタ鳥セキレイ盛岡市の木・花・鳥

盛岡市のなりたち

盛岡市(もりおかし)は、岩手県県央の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。米内村・厨川村・浅岸村・本宮村・中野村・渋民村・藪川村・梁川村・飯岡村・見前村・乙部村・太田村・巻堀村・玉山村・盛岡市です。これらの町村が、10回の合併や編入を経て、今の盛岡市になりました。

今の名前「盛岡市」は、1920年にあった盛岡市の名前を受け継いでいます。ほかの14の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の盛岡市が約30km²だったのに対し、今の盛岡市は約931km²と、およそ31.3倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は岩手郡・紫波郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧厨川村の区域には厨川駅(アイジーアールいわて銀河鉄道 いわて銀河鉄道線)があります。旧浅岸村の区域には浅岸駅(山田線)があります。旧渋民村の区域には渋民駅(アイジーアールいわて銀河鉄道 いわて銀河鉄道線)があります。

151920年の町村の数
10回合併・編入の回数
931km²今の面積
2006年いちばん新しい合併

「盛岡市」という名前

「盛岡」の名は、1691年(元禄4年)に藩主の南部重信と、盛岡城の鬼門を守る永福寺の僧が交わした連歌に由来する、縁起のよい地名とされます。「盛り上がり栄える岡」という意味が込められています。それより前、今の中心部のあたりは「不来方(こずかた)」と呼ばれていたと考えられ、今も盛岡の雅な呼び名として使われています。

まちの成り立ち

盛岡は、南部氏が江戸時代の初めに盛岡城を築いてから城下町として発展しました。1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、仁王村・志家村などの区域で盛岡市が生まれました。県内でただ一つの市として出発し、県庁所在地として歩んできました。

市はその後、周りの村を少しずつ取り込んでいきます。1913年(大正2年)に盛岡駅の周辺を厨川村から編入し、1928年(昭和3年)に米内村、1940年(昭和15年)に厨川村、1941年(昭和16年)には浅岸村・中野村・本宮村を編入しました。昭和の大合併の時期には、1955年(昭和30年)2月に簗川村、4月に太田村を編入し、同じ年に繋温泉の周辺も雫石町から加わりました。

同じ1955年4月には、南隣の紫波郡で飯岡村・見前村・乙部村が合併して都南村が生まれ、北の岩手郡では1954年(昭和29年)に玉山村・渋民村・藪川村が合併して新しい玉山村ができ、翌年に巻堀村を編入しました。平成に入ると、1992年(平成4年)4月1日に都南村、2006年(平成18年)1月10日に玉山村を編入し、今の盛岡市の形になりました。2008年(平成20年)には中核市になっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年市制の施行により、南岩手郡仁王村・志家村などの区域をもって盛岡市が発足した。種類:市制施行 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南岩手郡に米内村・浅岸村・厨川村・太田村・簗川村・本宮村・中野村・玉山村・藪川村、北岩手郡に渋民村・巻堀村、紫波郡に飯岡村・見前村・乙部村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1897年4月1日明治30年南岩手郡と北岩手郡が統合されて岩手郡となり、米内村・玉山村などは岩手郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1913年6月10日大正2年岩手郡厨川村の一部(盛岡駅の周辺と陸羽街道沿い)が盛岡市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  5. 1928年4月1日昭和3年岩手郡米内村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1940年1月1日昭和15年岩手郡厨川村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  7. 1941年4月10日昭和16年岩手郡の浅岸村・中野村・本宮村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  8. 1954年4月1日昭和29年岩手郡の玉山村・渋民村・藪川村が合併し、改めて玉山村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1955年2月1日昭和30年岩手郡簗川村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 1955年2月1日昭和30年岩手郡玉山村の一部と滝沢村の一部(滝沢字穴口の一部)が盛岡市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  11. 1955年4月1日昭和30年岩手郡太田村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  12. 1955年4月1日昭和30年紫波郡の飯岡村・見前村・乙部村が合併し、都南村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  13. 1955年6月1日昭和30年岩手郡巻堀村が玉山村に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  14. 1955年10月昭和30年岩手郡雫石町の一部(繋のうち繋温泉の周辺)が盛岡市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  15. 1961年2月1日昭和36年盛岡市の一部が岩手郡玉山村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  16. 1992年4月1日平成4年紫波郡都南村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  17. 2006年1月10日平成18年岩手郡玉山村が盛岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

盛岡市1889〜今
玉山村1889〜2006
巻堀村1889〜1955
渋民村1889〜1954同じ名前の駅:渋民駅
藪川村1889〜1954
米内村1889〜1928
都南村1955〜1992
飯岡村1889〜1955
見前村1889〜1955
乙部村1889〜1955
太田村1889〜1955
梁川村→簗川村1889〜1955
浅岸村1889〜1941同じ名前の駅:浅岸駅
本宮村1889〜1941
中野村1889〜1941
厨川村1889〜1940同じ名前の駅:厨川駅

参考にした資料