今の岩手町
岩手県の中部から北部にある、岩手郡の町です。東部に北上山地、西部に奥羽山脈があり、北上川が町の中央を南へ流れます。町内にはいわて沼宮内駅があり、東北新幹線が停車します。人工芝のホッケー競技場を中心にホッケーが盛んです。道の駅石神の丘に石神の丘美術館があり、彫刻にも力を入れています。高原の気候を生かし、キャベツなどの野菜が栽培されます。
今の岩手町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,285人です。今の区域で数えた1980年の20,350人とくらべると39.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.9%です。
主な産業:高原野菜(キャベツなど)の栽培と、畜産、ブルーベリーの生産が行われています。
特産品・名産
- キャベツ春系品種の「いわて春みどり」
- ブルーベリー加工用の産地
- 土川そば県の移住ポータルが特産に挙げる
見どころ・祭り
- 石神の丘美術館野外彫刻を展示する美術館
- 道の駅石神の丘国道4号沿いの道の駅
- 人工芝ホッケー競技場ホッケーの町の競技場
木御堂松花りんどう鳥きじ岩手町の木・花・鳥
岩手町のなりたち
岩手町(いわてまち)は、岩手県県央の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。一方井村・御堂村・沼宮内村・川口村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の岩手町になりました。
今の名前「岩手町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の川口村が約171km²だったのに対し、今の岩手町は約380km²と、およそ2.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は岩手郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧御堂村の区域には御堂駅(アイジーアールいわて銀河鉄道 いわて銀河鉄道線)があります。旧沼宮内村の区域には沼宮内駅(東北本線)があります。
「岩手町」という名前
岩手町の名は、町が属する岩手郡の名からとられたと考えられています。1955年(昭和30年)に沼宮内町・一方井村・川口村・御堂村が合併したとき、どれか一つの町村の名ではなく、郡の名を新しい町の名にしました。「岩手」という名の起こりには、三ツ石神社の大岩に鬼が手形を残したという伝説などがあります。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、北岩手郡に沼宮内町・川口村・一方井村・御堂村が生まれ、1897年(明治30年)にはどれも岩手郡に属しました。沼宮内は奥州街道の宿場で、江戸時代には盛岡藩の代官所が置かれていました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)7月21日に沼宮内町・御堂村・一方井村・川口村の1町3村が合併し、岩手町が発足しました。
1970年(昭和45年)の岩手国体でホッケー競技の会場になったことをきっかけに、町ではホッケーが盛んになりました。同じころから石彫シンポジウムが開かれ、のちに石神の丘美術館も開かれて、「ホッケーと彫刻の町」として知られるようになりました。2002年(平成14年)には、いわて沼宮内駅が東北新幹線の停車駅として開業しています。
合併したときの町の人口は、2万2千人余りでした。町の木の御堂松は、江戸時代に盛岡藩の林として沼宮内代官所が管理していたといわれます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北岩手郡に沼宮内町・川口村・一方井村・御堂村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年北岩手郡と南岩手郡が統合されて岩手郡となり、沼宮内町などは岩手郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1955年7月21日昭和30年岩手郡の沼宮内町・一方井村・川口村・御堂村が合併し、岩手町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。