今の金ケ崎町
岩手県南西内陸部の胆沢郡にある町です。駒ヶ岳があり、北上川や胆沢川、永沢川が流れます。北上市と奥州市に接します。基幹産業は農業ですが、県内最大の工業団地があり、自動車や医薬品の工場が立地して工業も盛んです。中心部には武家屋敷の並ぶ城内諏訪小路が残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。町には温泉も多くあります。
今の金ケ崎町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,535人です。今の区域で数えた1980年の14,973人とくらべると3.8%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.9%です。
主な産業:農業が基幹産業で、工業団地には自動車関連や医薬品の工場があります。
特産品・名産
- いわて奥州牛Wikipediaの名物に載る
- 金ケ崎牛子牛から肥育まで一貫して育てる牛
- 米(ひとめぼれ)扇状地で栽培される
見どころ・祭り
- 城内諏訪小路国の重要伝統的建造物群保存地区
- 鳥海柵跡国の史跡
- 南部領伊達領境塚国の史跡
- 金ケ崎要害歴史館町の歴史を紹介する施設
木すぎ花さつき鳥やまどり金ケ崎町の木・花・鳥
金ケ崎町のなりたち
金ケ崎町(かねがさきちょう)は、岩手県県南の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。永岡村・金ヶ崎村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の金ケ崎町になりました。
今の名前「金ケ崎町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の金ヶ崎村が約95km²だったのに対し、今の金ケ崎町は約180km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は胆沢郡に属していました。
「金ケ崎町」という名前
金ケ崎という地名の由来は、はっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、西根村と三ヶ尻村がまとまって金ヶ崎村となり、1925年(大正14年)に町になりました。町名は長く「金ヶ崎町」と書かれてきましたが、2007年(平成19年)に表記を「金ケ崎町」に改めています。
まちの成り立ち
金ケ崎のあたりは、古代には蝦夷との戦いや前九年の役の舞台となり、安倍氏の鳥海柵が置かれました。江戸時代には仙台藩の北の端にあたり、盛岡藩との境を守る要害が置かれて、武家の町が形づくられました。今も城内諏訪小路には武家屋敷が並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、胆沢郡に金ヶ崎村と永岡村が生まれました。金ヶ崎村は1925年(大正14年)9月1日に町制を施行して金ヶ崎町になりました。1954年(昭和29年)10月1日には、北上市の相去町の一部(六原の大部分)が町に加わり、これが今の六原地域です。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月1日に金ヶ崎町と永岡村が合併し、新しい金ヶ崎町が発足しました。2007年(平成19年)10月1日には、町名の表記を金ケ崎町に改めました。
合併の年に定められた町章は、カネガサキの「カ」とナガオカの「ナ」を組み合わせた図案です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西根村・三ヶ尻村の区域をもって胆沢郡金ヶ崎村が、永栄村・永沢村の区域をもって永岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1925年9月1日大正14年胆沢郡金ヶ崎村が町制を施行し、金ヶ崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年北上市の一部(相去町のうち字六原の大部分)が胆沢郡金ヶ崎町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年胆沢郡の金ヶ崎町と永岡村が合併し、改めて金ヶ崎町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2007年10月1日平成19年金ヶ崎町が町名の表記を金ケ崎町に改めた。種類:改称 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。