今の山田町
岩手県沿岸中部の三陸地方にある、太平洋に面した下閉伊郡の町です。リアス式海岸の船越湾の北部と船越半島、山田湾に面しています。関口川や織笠川が山田湾に注ぎ、河口の近くに山田港があり、周りに鉄道駅や役場、病院が集まります。西の端は高滝森で、西部は津軽石川の上流の流域です。養殖を中心とした漁業と観光が盛んで、山間部には中小の工場があります。
今の山田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,320人です。今の区域で数えた1980年の25,321人とくらべると43.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.1%です。
主な産業:養殖を中心とする漁業と観光が中心で、山間部に中小の工場があります。
特産品・名産
- 山田湾のカキ山田湾と船越湾で養殖
- ホタテ山田湾で養殖
- 原木しいたけ山林で栽培
見どころ・祭り
- 鯨と海の科学館鯨の骨格標本などを展示する博物館
- 山田八幡宮毎年9月の山田祭りの会場
- オランダ島山田湾にある島
- 道の駅やまだ国道45号沿いの道の駅
木スギ花ハマナス鳥ウミネコ山田町の木・花・鳥
山田町のなりたち
山田町(やまだまち)は、岩手県沿岸の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。豊間根村・大沢村・船越村・織笠村・山田町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の山田町になりました。
今の名前「山田町」は、1920年にあった山田町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の山田町が約28km²だったのに対し、今の山田町は約275km²と、およそ9.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下閉伊郡に属していました。
「山田町」という名前
山田という地名の由来は、はっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、山田村と飯岡村がまとまって山田町となり、この名が今の町に引きつがれています。1643年(寛永20年)にオランダ船のブレスケンス号が山田湾に入港した出来事にちなんで、湾に浮かぶ島はオランダ島と名づけられています。
まちの成り立ち
山田では、沢田地区の遺跡から縄文時代前期の集落の跡が見つかっています。中世には軍馬を育てる牧場が置かれ、閉伊氏や福士氏の一族が管理しました。1643年(寛永20年)には、水や食料を求めてオランダ船が山田湾に入るブレスケンス号事件が起きました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、山田村と飯岡村がまとまって東閉伊郡山田町が生まれ、周りには大沢村・織笠村・船越村・豊間根村ができました。1897年(明治30年)には郡の統合で下閉伊郡に属しました。1935年(昭和10年)には国鉄山田線が通じ、陸中山田駅などが開業しています。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月1日に山田町・大沢村・織笠村・豊間根村・船越村が合併し、新しい山田町が発足しました。
2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波とそれに続く火災で町の中心部が大きな被害を受けました。町は市街地を陸中山田駅の周りに集め、地盤をかさ上げし、防潮堤を築いて復興を進めています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、山田村と飯岡村が合併して東閉伊郡山田町が発足し、周辺には大沢村・織笠村・船越村・豊間根村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡が統合されて下閉伊郡となり、山田町などは下閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年下閉伊郡の山田町・大沢村・織笠村・豊間根村・船越村が合併し、改めて山田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。