今の遠野市
岩手県南東部の内陸にある市です。市のほぼ全域が北上川の支流の猿ヶ石川の最上流域で、中央部は北上山地で最大の遠野盆地です。早池峰山の一部も市域にあります。早瀬川や小鳥瀬川も流れます。柳田國男の『遠野物語』の舞台で、河童や座敷童子の民話が伝わり、市は民話のふるさとを掲げています。基幹産業は農業です。市街地には、遠野駅の周りに商店街が広がります。
今の遠野市の区域の人口は、2020年の国勢調査で25,366人です。今の区域で数えた1980年の37,382人とくらべると32.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.6%です。
主な産業:農業が基幹産業で、ホップの栽培やどぶろくづくりにも力を入れています。
特産品・名産
- ホップビールの原料として栽培される
- ジンギスカンジンギスカンバケツで焼く食べ方
- どぶろく市で生産に力を入れている
見どころ・祭り
- カッパ淵遠野物語ゆかりの淵
- 伝承園民話にまつわる施設
- 鍋倉公園鍋倉城の跡
- 早池峰山市域の一部にかかる山
木いちい花やまゆり鳥やまどり遠野市の木・花・鳥
遠野市のなりたち
遠野市(とおのし)は、岩手県県南の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。附馬牛村・土淵村・松崎村・綾織村・青笹村・上郷村・小友村・達曾部村・鱒沢村・宮守村・遠野町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の遠野市になりました。
今の名前「遠野市」は、1920年にあった遠野町の名前を受け継いでいます。ほかの10の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は上閉伊郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧綾織村の区域には綾織駅(釜石線)があります。旧青笹村の区域には青笹駅(釜石線)があります。旧鱒沢村の区域には鱒沢駅(釜石線)があります。旧宮守村の区域には宮守駅(釜石線)があります。
「遠野市」という名前
遠野という地名の由来は、はっきりしていません。江戸時代、遠野南部氏が治めていたころには、遠野は「拾戸(じゅうのへ)」とも呼ばれました。南部氏の古い領地には一戸から九戸までの「戸」があり、八戸から移ってきた遠野南部氏が、遠野を十番目の戸に見立てたものと考えられています。
まちの成り立ち
江戸時代の初め、盛岡藩主の南部利直は、八戸の根城にいた一族の八戸直義を遠野に移しました。1627年(寛永4年)に直義が鍋倉城に入ってから明治維新まで、遠野は遠野南部氏の城下町として栄えました。穀町・大工町・材木町といった町名に、城下町のなごりが見られます。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、横田村が単独で町制を施行して西閉伊郡遠野町が生まれ、周りには綾織村・松崎村・土淵村など10の村ができました。1897年(明治30年)にはどれも上閉伊郡に属しました。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)12月1日に遠野町と青笹村・綾織村・小友村・上郷村・附馬牛村・土淵村・松崎村が合併し、遠野市が発足しました。翌1955年(昭和30年)2月には、宮守村・達曽部村・鱒沢村が合併して新しい宮守村が生まれました。平成の大合併では、2005年(平成17年)10月1日に遠野市と宮守村が合併し、今の遠野市が発足しました。
遠野は、柳田國男の『遠野物語』の舞台として知られ、河童や座敷わらしの民話が今も語りつがれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、横田村が単独で町制を施行して西閉伊郡遠野町が発足し、同郡に綾織村・小友村・鱒沢村・宮守村・達曽部村・松崎村・附馬牛村・土淵村・青笹村・上郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年西閉伊郡と南閉伊郡が統合されて上閉伊郡となり、遠野町などは上閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年12月1日昭和29年上閉伊郡の遠野町・青笹村・綾織村・小友村・上郷村・附馬牛村・土淵村・松崎村が合併し、市制を施行して遠野市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年2月11日昭和30年上閉伊郡の宮守村・達曽部村・鱒沢村が合併し、改めて宮守村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年遠野市と上閉伊郡宮守村が合併し、改めて遠野市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。