今の大槌町
岩手県の沿岸部、上閉伊郡にある町です。東は太平洋に面し、三陸ジオパークの一部をなします。北上山地から大槌川と小鎚川がほぼ並行して南東へ流れ、大槌湾に注ぎます。川がつくった沖積平野に町の中心部があります。町は湧水に恵まれ、中心部には自噴井が多くあります。大槌川はイトヨが生息する、県内で唯一の場所です。蓬莱島は人形劇のひょうたん島のモデルといわれます。
今の大槌町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,004人です。今の区域で数えた1980年の21,292人とくらべると48.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.3%です。
主な産業:漁業が中心で、湧水を使った水産加工、酒造、豆腐づくりも営まれてきました。
特産品・名産
- 新巻鮭町の移住案内サイトで発祥の地とされる
- 磯ラーメン町の移住案内サイトで発祥の地とされる
- ホタテ・牡蠣大槌の海で育つ肉厚の貝
見どころ・祭り
- 蓬莱島ひょうたん島のモデルといわれる島
- 新山高原初夏にレンゲツツジが咲く高原
- 吉里吉里海岸船越湾に面した海岸
- 浪板海岸三陸の海岸
木けやき花新山つつじ鳥かもめ大槌町の木・花・鳥
大槌町のなりたち
大槌町(おおつちちょう)は、岩手県沿岸の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。金沢村・大槌町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大槌町になりました。
今の名前「大槌町」は、1920年にあった大槌町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の大槌町が約96km²だったのに対し、今の大槌町は約210km²と、およそ2.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上閉伊郡に属していました。
「大槌町」という名前
大槌という地名の由来は、はっきりしていません。戦国時代、この地は大槌氏が治めていました。1889年(明治22年)の町村制で、大槌村・小鎚村・吉里吉里村がまとまって大槌町となり、1955年(昭和30年)に金沢村と合併したときも大槌の名が引きつがれました。
まちの成り立ち
戦国時代の大槌は、大槌氏の治める土地でした。大槌氏は九戸政実の乱などで南部氏方として戦い、特産の南部鮭の交易で栄えましたが、のちに藩主の南部利直から謀反を疑われて処罰されました。その後は盛岡藩の直接の支配に入り、大槌代官所が置かれて、今の山田町や釜石市にあたる地域までを受け持ちました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、南閉伊郡の大槌村・小鎚村・吉里吉里村がまとまって大槌町が生まれ、山あいの金沢村は単独で村になりました。1897年(明治30年)には南閉伊郡と西閉伊郡が一つになり、上閉伊郡に属しました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に大槌町と金沢村が合併し、新しい大槌町が発足しました。
町の中心部には湧き水が多く、暮らしや産業に使われてきました。2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波とそれに続く火災で町の中心部が壊滅的な被害を受け、町長をはじめ多くの職員も犠牲になりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大槌村・小鎚村・吉里吉里村が合併して南閉伊郡大槌町が発足し、金沢村は単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年南閉伊郡と西閉伊郡が統合されて上閉伊郡となり、大槌町と金沢村は上閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年上閉伊郡の大槌町と金沢村が合併し、改めて大槌町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。