今の釜石市
岩手県南東部、三陸海岸の中心にある市です。西は松倉山や仙磐山などの北上山地に囲まれ、東は太平洋に面します。典型的なリアス式海岸で、平野部は少なく、可住地も広くありません。三陸沖の豊かな漁場を持ち、明治に製鉄所が置かれたことから、日本の近代製鉄の発祥の地と呼ばれます。製鉄業を中心とする重工業のまちとして発展しました。
今の釜石市の区域の人口は、2020年の国勢調査で32,078人です。今の区域で数えた1980年の65,250人とくらべると50.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.1%です。
主な産業:製鉄業などの製造業と、漁業や養殖業が営まれています。
特産品・名産
- 甲子柿渋柿をいぶして甘くした特産品
- 釜石ラーメン市のグルメとして紹介されるラーメン
見どころ・祭り
- 橋野高炉跡日本初の商用高炉の跡
- 三貫島オオミズナギドリの集団繁殖地
- 仙人峠甲子川の上流にある峠
木たぶのき花はまゆり鳥おおみずなぎどり釜石市の木・花・鳥
釜石市のなりたち
釜石市(かまいしし)は、岩手県沿岸の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。栗橋村・鵜住居村・甲子村・唐丹村・釜石町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の釜石市になりました。
今の名前「釜石市」は、1920年にあった釜石町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の釜石町が約47km²だったのに対し、今の釜石市は約462km²と、およそ9.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上閉伊郡・気仙郡に属していました。
「釜石市」という名前
釜石という地名の由来には、いくつかの説があり、定まっていません。アイヌ語の「クマ・ウシ」(魚を干す場所があるところ)からきたとする説や、甲子川沿いの大きな岩を釜に見立てたことにちなむとする説などがあります。1889年(明治22年)の町村制で釜石町が生まれ、1937年(昭和12年)に市になったときも、この名が引きつがれました。
まちの成り立ち
釜石は、もとは三陸の漁村でした。幕末に、盛岡藩士の大島高任が日本で初めての商用の高炉による製鉄に成功し、その跡の橋野高炉跡は世界遺産になっています。1880年(明治13年)には官営の製鉄所が操業を始めましたが、うまくいかずに数年で閉じられました。その後、東京の商人の田中長兵衛が製鉄所の再建に取り組んで成功し、釜石は近代製鉄の発祥の地と呼ばれるようになりました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、南閉伊郡に釜石町・甲子村・鵜住居村・栗橋村、気仙郡に唐丹村が生まれました。1897年(明治30年)には釜石町などが上閉伊郡に属しました。1937年(昭和12年)5月5日、釜石町が市制を施行し、県内で盛岡市に次ぐ2番目の市になりました。
太平洋戦争の末期には2度の艦砲射撃を受けて、市街地と製鉄所が大きな被害を受けました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に釜石市・甲子村・鵜住居村・栗橋村と気仙郡の唐丹村が合併し、今の釜石市が発足しました。2011年(平成23年)の東日本大震災では、津波で沿岸の各地が大きな被害を受けました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南閉伊郡に釜石町・甲子村・鵜住居村・栗橋村が、気仙郡に唐丹村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年南閉伊郡と西閉伊郡が統合されて上閉伊郡となり、釜石町などは上閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1937年5月5日昭和12年上閉伊郡釜石町が市制を施行し、釜石市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年釜石市と上閉伊郡の鵜住居村・甲子村・栗橋村、気仙郡唐丹村が合併し、改めて釜石市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。