今の足寄町
十勝総合振興局の北東部にある町で、足寄郡に属します。利別川の中流域と、その支流の足寄川、美里別川の流域がほぼ町域で、町域は広く、多くを山林が占めます。北西は石狩山地の山々、東の端には雌阿寒岳があります。中央南部は利別川の谷に沿った平地で、そこに中心市街があります。畜産、畑作、林業が行われ、ラワンブキの栽培も盛んです。
今の足寄町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,563人です。今の区域で数えた1980年の12,667人とくらべると48.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.0%です。
主な産業:畜産・畑作・林業が行われ、ラワンブキの栽培も盛んです。
特産品・名産
- ラワンブキ北海道遺産に選ばれた大きなフキ
- テンサイ畑作の中心となる作物
- 小麦畑作の中心となる作物
見どころ・祭り
- オンネトー雌阿寒岳の噴火でできた堰止湖
- 足寄動物化石博物館足寄動物群の化石を展示する町立の博物館
- オンネトー湯の滝マンガン酸化物生成地。天然記念物
- 道の駅あしょろ銀河ホール21町内の道の駅
木アカエゾマツ花エゾムラサキツツジ鳥エゾライチョウ足寄町の木・花・鳥
足寄町のなりたち
足寄町(あしょろちょう)は、北海道十勝地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では足寄村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は中川郡・足寄郡に属していました。
「足寄町」という名前
「足寄」は、アイヌ語の「エショロペッ」(沿って下る川)に由来するといわれています。「下る川」と説明されることもあります。今の足寄町は、1955年(昭和30年)に足寄村と西足寄町が一つになってできた町で、名は足寄村から受けつぎました。
まちの成り立ち
今の足寄町は、1955年(昭和30年)4月1日に足寄村と西足寄町を廃止して、新しく置かれた町です。足寄村の側は、1884年(明治17年)に白糠外6ヵ村戸長役場の管轄に入り、明治30年ごろから移住する人が増えました。1908年(明治41年)に足寄郡各村戸長役場、1919年(大正8年)に淕別外1村戸長役場が置かれ、1923年(大正12年)4月1日に足寄村と螺湾村の区域で二級町村制を施行して足寄村となりました。足寄村は釧路国の支庁に属していましたが、1948年(昭和23年)に十勝支庁の管轄に移っています。西足寄の側は、1880年に十勝外4郡各村戸長役場の管轄に入り、1921年(大正10年)4月1日に本別村から分かれて西足寄村になりました。1950年(昭和25年)に町制を施行して西足寄町となり、1951年には斗満地区の一部を陸別村に移しています。合併でできた足寄町は、利別川の流域に広がる大きな町です。
年表
- 1921年4月1日大正10年中川郡の本別村から一部が分かれて二級町村制を施行し、西足寄村となった。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1923年4月1日大正12年足寄郡の足寄村と螺湾村がまとまって二級町村制を施行し、足寄村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年10月20日昭和23年足寄村が釧路国支庁から十勝支庁の管轄に移った。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年4月1日昭和25年西足寄村が町制を施行し、西足寄町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年西足寄町の斗満地区の一部が陸別村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年西足寄町と足寄村が合併し、足寄町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。