今の白糠町
北海道東部、釧路総合振興局の太平洋側にある町です。市街の東の石炭岬付近には岩礁が見られます。酪農と漁業が盛んで、農業も営まれます。漁業では定置網でシシャモやサケなどが獲られてきました。鍛高地区ではシソの栽培が行われ、その名はシソ焼酎「鍛高譚」にも使われています。かつては炭鉱の町でしたが、炭鉱はいずれも閉じ、現在は釧路白糠工業団地に軽工業や食品加工の企業が集まっています。
今の白糠町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,289人です。今の区域で数えた1980年の14,514人とくらべると49.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.0%です。
主な産業:酪農と漁業が盛んで、農業・食品加工業も営まれています。
特産品・名産
- 鍛高地区のシソシソ焼酎「鍛高譚」の原料になる
- 極寒ブリ町でブランド化されたブリ
- 駒踊り最中白糠駒踊りにちなんだ菓子
見どころ・祭り
- 恋問海岸道の駅しらぬか恋問に近い海岸
- 不動の滝庶路川の滝
- バシクル自然公園馬主来沼の近くにある公園
- 岬の森東山公園白糠駅に近い公園
木ナナカマド花キンセンカ白糠町の木・花
白糠町のなりたち
白糠町(しらぬかちょう)は、北海道釧路地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに白糠村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は白糠郡に属していました。
「白糠町」という名前
「白糠」は、アイヌ語の「シラリカ」が変わった名で、「溢れる潮」の意味とする説があります。また「シラリカㇷ゚」(潮が岩を越える場所)などの語に由来するとする説もあり、市街の東にある石炭岬付近の岩礁を指した地名と考えられています。1915年(大正4年)に尺別村が分かれて二級町村制を施行したとき、村の名は白糠村となり、1950年(昭和25年)の町制施行で白糠町になりました。
まちの成り立ち
白糠の開発は、慶長年間(1596〜1615年)に松前慶広の時代に白糠場所が置かれたことに始まるとされています。1799年(寛政11年)に徳川幕府が東蝦夷地を直轄地とすると、白糠場所は釧路場所に合わされました。1872年(明治5年)に白糠村の区画が定められ、1875年には白糠郡に尺別村が置かれています。1884年(明治17年)12月25日に白糠村外6村戸長役場が設けられ、1908年(明治41年)には足寄郡の部分が分かれて、白糠村・庶路村・尺別村が白糠郡の戸長役場になりました。1915年(大正4年)4月1日、尺別村戸長役場を分けると同時に二級町村制を施行し、村の名を白糠村としました。1949年には釧路市との間で境界が改められています。1950年(昭和25年)11月1日に町制を施行して白糠町になりました。かつては雄別炭礦の上茶路炭礦や明治鉱業の庶路炭礦など、複数の炭鉱がありましたが、いずれも閉鉱しています。
年表
- 1884年12月25日明治17年白糠郡の白糠村など7村を受け持つ白糠村外6村戸長役場が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年尺別村の戸長役場が分かれ、白糠村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1949年10月10日昭和24年釧路市との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年11月1日昭和25年白糠村が町制を施行し、白糠町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。