今の本別町
北海道東部、十勝総合振興局の北東部にある町です。町内を本別川が流れ、山あいに畑作地帯と市街地が広がります。古くから林業が盛んでしたが、近年は農業が主体で、小麦・豆類・テンサイなどの畑作と酪農が営まれます。木材や農産物の加工も行われています。義経の里本別公園にキャンプ場があり、町内にはパークゴルフ場が点在します。勇足神社のかしわ林は町の文化財になっています。
今の本別町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,618人です。今の区域で数えた1980年の13,253人とくらべると50.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.7%です。
主な産業:畑作(小麦・豆類・テンサイ)と酪農が中心で、木材・農産物の加工も行われます。
特産品・名産
- 豆類畑作で生産される作物のひとつ
- テンサイ畑作で生産される作物のひとつ
- 小麦畑作で生産される作物のひとつ
見どころ・祭り
- 義経の里本別公園キャンプ場やゴーカート場がある
- 本別温泉グランドホテル町内の温泉宿泊施設
- 歴史民俗資料館・旧仙美里駅バロン西ゆかりの資料を展示
- 大日山密厳寺北海道三十三観音霊場20番札所
- 勇足神社のかしわ林町の文化財に指定された立木
木カシワ花エゾムラサキツツジ鳥アカゲラ本別町の木・花・鳥
本別町のなりたち
本別町(ほんべつちょう)は、北海道十勝地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに本別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は中川郡に属していました。
「本別町」という名前
「本別」は、アイヌ語の「ポンペッ」(小さい川)が変わった名とされます。町内を流れる本別川のアイヌ語名にあたり、大きな川に注ぐ小さな川という意味です。1915年(大正4年)に二級町村制を施行したときに本別村となり、1933年(昭和8年)に町制を施行して本別町になりました。
まちの成り立ち
本別は、1880年(明治13年)に十勝外4郡の戸長役場が大津村に置かれると、その管轄に入りました。1899年(明治32年)に凋寒村外13村戸長役場の管轄に変わり、1902年(明治35年)9月にそこから分かれて本別外5村戸長役場が置かれました。1915年(大正4年)4月1日に二級町村制を施行して本別村になります。1921年(大正10年)4月1日には西足寄村が分かれました。1923年(大正12年)4月1日に一級町村制となり、1933年(昭和8年)5月1日に町制を施行して本別町になりました。古くから林業で栄えましたが、近年は農業が主体で、小麦・豆類・テンサイなどの畑作と酪農が営まれています。町の木「かしわ」と町の花「エゾムラサキツツジ」は、開基80年の記念式典のころに定められました。1989年(平成元年)には国鉄池北線が廃止され、ふるさと銀河線が開業しました。1991年には開町90年の記念式典が開かれています。
年表
- 1902年9月明治35年凋寒村外13村戸長役場から分かれて、本別外5村戸長役場が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年中川郡の本別村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1921年4月1日大正10年本別村の一部が分かれて西足寄村が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年4月1日大正12年本別村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1933年5月1日昭和8年本別村が町制を施行し、本別町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。