今の津別町
オホーツク総合振興局管内の網走郡にある町で、美幌町の南に隣り合います。北部は網走川の扇状地が広がって農耕が盛んで、南部は山岳部で森林が広がり、釧路方面へ通じる津別峠と釧北峠があります。町域の大部分を森林が占め、林業と木材加工が発達しています。「森林セラピー基地」に認定されており、つべつ和牛などの牛肉のブランドもあります。
今の津別町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,373人です。今の区域で数えた1980年の9,685人とくらべると54.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.2%です。
主な産業:林業と木材加工が発達し、畑作と畜産も行われます。
特産品・名産
- つべつ和牛つべつ和牛銘柄推進協議会が生産する黒毛和牛
- 流氷牛流氷ファームグループが育てる黒毛和牛
- 木材林業が発達し、木材加工業がある
見どころ・祭り
- チミケップ湖谷がせき止められてできた堰止湖
- 津別峠屈斜路湖の北西にある峠
- 順誓寺本堂国の登録有形文化財
木エゾマツ花スズラン津別町の木・花
津別町のなりたち
津別町(つべつちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに津別村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は網走郡に属していました。
「津別町」という名前
「津別」は、アイヌ語の「ツペツ」(山の出鼻を通って流れる川)に由来するとされています。市街の北で津別川と網走川が並んで合流する様子から、「トゥ・ペッ」(二つの川)とする説もあります。どちらも、今の市街の近くの地形にちなむ名です。
まちの成り立ち
津別の地では、1883年(明治16年)に字活汲へ旧土人救済事務所が置かれ、網走外3郡役所から派遣された西田喜之助が、アイヌの人たちに農業を教えました。1887年(明治20年)に戸長役場が置かれ、同じ年に美幌外5村戸長役場にまとめられています。1915年(大正4年)にはその区域で二級町村制が施行され、美幌村となりました。1919年(大正8年)4月1日、南部の達媚・活汲・飜木禽の3つの大字が美幌村から分かれ、二級町村制の津別村になりました。1921年(大正10年)4月1日には、美幌村との境界を変えています。1937年(昭和12年)に3つの大字をやめて新しい字の名前を付け、1943年(昭和18年)4月1日に一級町村制を施行しました。1946年(昭和21年)9月10日に町制を施行して、津別町になっています。町の大部分を森林が占め、林業と木材の加工が盛んです。
年表
- 1919年4月1日大正8年美幌村の大字達媚・活汲・飜木禽の区域が分かれて二級町村制を施行し、網走郡の津別村となった。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1921年4月1日大正10年津別村と美幌村の間で、大字活汲の一部の境界が変更された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1943年4月1日昭和18年津別村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1946年9月10日昭和21年津別村が町制を施行し、津別町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。