今の大空町
オホーツク総合振興局の東部にある網走郡の町で、網走湖や藻琴山があります。旧女満別町は台地と網走川流域の低湿地から成り、台地は畑作、低湿地は水稲を中心とした農業が発達しました。旧東藻琴村は山地から平野や丘陵が広がります。農地が総面積の約半分を占め、麦やジャガイモ、テンサイ、もち米などを作り、網走湖ではワカサギやシジミの内水面漁業が行われています。
今の大空町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,775人です。今の区域で数えた1980年の9,565人とくらべると29.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.0%です。
主な産業:畑作・酪農と、網走湖の内水面漁業が中心です。
特産品・名産
- シジミ網走湖の内水面漁業の主な資源
- ワカサギ網走湖の内水面漁業の主な資源
- 大空豚しゃぶ長いも丼町内の産物を使ったご当地丼
見どころ・祭り
- 網走湖北海道景観100選に選ばれた湖畔
- 女満別町湿生植物群落国の天然記念物
- 東藻琴芝桜公園ひがしもこと芝桜祭りの会場
- 藻琴山標高約1,000mの山
木ナナカマド、シラカンバ花シバザクラ、ミズバショウ大空町の木・花
大空町のなりたち
大空町(おおぞらちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では女満別村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は網走郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧女満別村の区域には女満別駅(北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線)があります。
「大空町」という名前
「大空」は、町内にある女満別空港にちなむ名です。澄み切った大空と、その下に広がる実りの多い大地のもとで、住民が夢や希望を持って晴れ晴れした気持ちで暮らすことを目指して名付けられました。旧女満別町の「女満別」は、アイヌ語の「メマンペッ」(泉池がある川の意)が変わったもので、旧東藻琴村の「東藻琴」は、アイヌ語の「モコト」(眠っている沼の意)に由来するとされます。
まちの成り立ち
大空町の区域は、女満別町と東藻琴村でした。女満別では1890年(明治23年)に福井県の人が来住し、1894年(明治27年)には礼文尻で畑と水田が耕作されました。東藻琴は1906年(明治39年)に梅谷房蔵ら6名が入地し、農業に従事しました。1898年(明治31年)には千葉県や鳥取県の人たちが湖南地区の未開地に入植し、東藻琴の市街地は1913年(大正2年)に区画が設けられました。1921年(大正10年)4月1日に網走町の最寄村と網走村の一部から分かれて二級町村制を施行し、女満別村が置かれました。女満別村は1939年(昭和14年)4月1日に一級町村制となり、1951年(昭和26年)4月1日に町制を施行して女満別町になりました。東藻琴村は1947年(昭和22年)2月11日に、網走町の市制施行と同時に網走市から分かれて置かれました。2006年(平成18年)3月31日、女満別町と東藻琴村が合わさって大空町が発足しました。
年表
- 1902年4月1日明治35年網走郡で北海道二級町村制が施行され、今の大空町の区域を含む網走町・藻琴村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1915年4月1日大正4年藻琴村と能取村が網走町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1921年4月1日大正10年網走町の最寄村と網走村の一部が分かれて北海道二級町村制を施行し、女満別村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1939年4月1日昭和14年女満別村が北海道一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1947年2月11日昭和22年網走町の市制施行と同時に、その一部が分かれて東藻琴村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1951年4月1日昭和26年女満別村が町制を施行し、女満別町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 2006年3月31日平成18年女満別町と東藻琴村が合併し、大空町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。