今の小清水町
オホーツク総合振興局の東部にあり、北はオホーツク海に面する町です。海岸に沿って釧網本線が東西に走ります。南部は藻琴山を含む山岳地帯で、その北に平野と丘陵が広がります。海岸近くに濤沸湖があり、止別川が流れます。畑作と酪農が発達し、ジャガイモ、ビート、小麦などが生産されます。海岸は北海道の名勝に指定されています。
今の小清水町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,623人です。今の区域で数えた1980年の7,836人とくらべると41.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.4%です。
主な産業:畑作(ジャガイモ・ビート・小麦)と酪農が中心です。
特産品・名産
- ジャガイモ畑作の主な作物
- ビート畑作の主な作物
- 小麦畑作の主な作物
見どころ・祭り
- 小清水原生花園海岸に広がる原生花園
- こしみずリリーパークユリの花畑が広がる
- 濤沸湖町の北部の湖
- 小清水海岸北海道指定の名勝
木ミズナラ花エゾスカシユリ鳥オオハクチョウ小清水町の木・花・鳥
小清水町のなりたち
小清水町(こしみずちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに小清水村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は斜里郡に属していました。
「小清水町」という名前
小清水の市街は、止別川の支流ポンヤンベツ川の東岸にあります。この川のアイヌ語名「ポンヤンペッ」は「小さい止別川」という意味で、止別川(ヤンペッ)は「冷たい川」を指すとされます。1891年(明治24年)にこの地に駅の名を設けるとき、アイヌ語名の意味を訳して「小清水」と名づけたといわれています。1919年(大正8年)に小清水村となり、1953年(昭和28年)に町制を施行して小清水町になりました。
まちの成り立ち
小清水のあたりでは、1808年(文化5年)に近江出身の柏屋喜兵衛が請負人となり、網走に漁場を開いたころから、和人の往来がありました。1879年(明治12年)4月には斜里外4村戸長役場の管轄となり、明治の終わりから大正にかけて、内陸の原野に農業の移民が入っていきました。1919年(大正8年)4月1日、斜里村から分かれて二級町村制を施行し、小清水村が生まれました。1925年(大正14年)には釧網線が通り、町の北部を東西に結ぶようになりました。1943年(昭和18年)4月1日には、南部の上斜里の地域が斜里町の一部とあわせて上斜里村(今の清里町)として分かれています。1953年(昭和28年)10月1日に町制を施行して小清水町になり、同じ日に町章と町旗が定められました。今の小清水町は、ジャガイモやビート、小麦の畑作と酪農が盛んで、海岸の原生花園や濤沸湖に飛来するハクチョウでも知られています。
年表
- 1919年4月1日大正8年斜里郡の斜里村から分かれて二級町村制が施行され、小清水村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1943年4月1日昭和18年小清水村と斜里町の一部が分かれ、上斜里村(今の清里町)が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1953年10月1日昭和28年小清水村が町制を施行し、小清水町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。